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「残心」忘るなかれ No.852

茶華道をはじめ日舞や洋舞、また柔剣道や空手、弓道、さらにはピアノやバレエなどの多くの習い事で、年の初めに行われるのが「初稽古」だ。

「稽古」は、中国最古の古典「書経」や日本最古の歴史書「古事記」にも載る言葉で、「古(いにしえ)を稽(かんがへ)る」が本来の意味。つまり「稽古」は、技術や型を学ぶこともさることながら、まずはその背景にある、先人たちの修練の結果生み出された物の考え方を学ぶことに、むしろ本旨がある。

「見取り稽古」という言い方があるのは、それだからではないか。花を活けたり茶を点(た)てたり、あるいは舞ったり誰かと闘ったりする前に、師匠・先輩の動きや所作をただじっと見ているだけ。すると、自分とは何かが違うことに気付くようになり、それを吸収して行くことによって上手になったり強くなる ―― それが「見取り稽古」だ。

宮本武蔵は、自著「五輪書」に「観見の目付」と呼ばれる教えを残した。いわく「眼の付け様は、大きに広く付くる。観見の二つあり。観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、兵法の専なり」(目付には観と見の二つがある。観は心で見て、見は眼で見ること。兵法では、心で察知することを重要視し、実際に目で見ることはその次にして、近い所も遠い所も同様に感じなければならない) 

心の目で「観る」とは、言い換えれば「洞察力」を表わす。「見取り稽古」の意味・神髄はそこにあるということだろう。

とりわけ剣道の試合では、試合する双方の「残心」の有り様(よう)が厳しく問われる。「残心」とは、打った(斬った)後にあり得る相手の反撃に対して、あらかじめ備えておく「心構え」のこと。日本独得の「余韻の美学」と称してもよかろうか。

剣道ではそのことが審判規則12条に明記されている。「有効打突は、充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、(かつ)残心あるものとする」。つまり、攻撃ポイントを打突しただけでは「有効打」とは認められないのだ、攻めた後の相手の反撃を予測し、備える余裕が残っていたと認められなければ。

昨年は各界著名人による失言・暴言、果ては不倫スキャンダルが目立った。一般社会でも、SNSという情報発信手段を安易に誤用した人騒がせな話題が尽きなかった。

何をすれば、どんな結末を招き得るのか ――1億総国民が「残心」忘るなかれと思う。