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出会いの奇跡 No.935

勝海舟は若い頃、これからの外交には西洋兵学が必要と考え、蘭学の習得に努めたが、非常に貧乏で書物を買う金がなかったので、日本橋と江戸橋の間の小さな書物商に通って立ち読みを繰り返していた。店主も勝の事情を察して親切にしてくれた。

その書物商の常連に渋田利右衛門という北海道の商人がいた。渋田は無類の読書好きで、商用で江戸へ来るたびにここに立ち寄り、書物をまとめ買いしていたが、いつも立ち読みしている勝の存在が気になっていた。店主から勝の事情を聞いた渋田は「それは感心なお方だ。自分も書物がたいへん好きだから、一度お話したい」と言い、店主の仲介で二人は出会った。少しばかり言葉を交わすと渋田は「同じ好みの道だから、この後のご交際を願いたい」と勝に申し出る。そして数日後、渋田は勝の家を訪れた。当時の勝の家は破れた畳三枚で、天井板は薪にして一枚も残っていなかったが渋田は特段気にかけることはなかった。そして、帰りがけに懐から二百両の金を出して「書物を買ってください」と言った。勝は驚いて返答できずにいると、渋田は「いや、そんなにご遠慮なさるな。これであなたが書物を買ってお読みになり、そのあと私に送ってくれれば結構だ」と、強いて金を置いて帰った。

その後も二人の交流は続き、勝はますます蘭学に傾注する。そして、ついに勝の知識が幕府の目に留まり、無役の身から立身出世の足がかりをつかむことになる。勝は出世してからも蘭学本を翻訳し、渋田に送り続けた。渋田は函館で「渋田文庫」を設け、図書館のように蔵書を解放し庶民教育に尽力した。勝が自らのことを語った『氷川清話(ひかわせいわ)』には、渋田との出会いが詳しく記されている。

勝の人間性に惚れたのか、慧眼があったのか、貧しい下級武士を支援した渋田の心意気が幕末の歴史を塗り変えたともいえる。渋田の支援がなければ、勝は世に出なかったかもしれない。となると、勝の弟子竜馬も維新の舞台に現れなかったかもしれないし、竜馬の奔走なくして薩長同盟成立はあり得ない。渋田と勝との書物商での出会いが歴史を大きく動かしたのだ。

渋田は享年40歳と若くして亡くなった。明治維新後、勝は渋田の恩に報いるべく、渋田文庫の蔵書の数万冊すべてを函館奉行所で買い上げた。渋田は「図書館の祖」として函館の歴史に名を遺した。誰しも自身の人生に少なからぬ影響力を与えた人物が存在しよう。春は出会いの季節。出会いの奇跡はどこに転がっているかわからない。