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挑戦はつづく No.941

冒険家の三浦雄一郎さんは、昨年6月の夜突然右半身が痺れて動かなくなった。至急病院に運ばれ、その日のうちに手術。病名は「特発性頸髄硬膜外血腫」という100万人に1人の頻度で起こる珍しい病だった。

脊髄を損傷したため2カ月間は寝たきりで、ようやく立ち上がれるようになったのは半年後。その後、ロボットスーツを使ったリハビリによって、今年2月には短い距離なら自力で歩けるようになった。一時は生活復帰も危ぶまれたが、不屈の精神力で回復し、6月に富士山五合目で行われた東京五輪聖火ランナーを無事つないだ。

彼の冒険の歴史は―1964年スピードスキー競技の「イタリア・キロメーターランセ」に日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録を樹立して世界を驚かせた。1966年は背中にパラシュートをつけて、まさかの富士山直滑降。1970年にはエベレスト・サウスコル8000m世界最高地点からのスキー滑降行い、ギネス認定となった。世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成したのは1985年のこと。

しかし、すでに53歳になっていた三浦さんは、偉業の達成感からか冒険を離れ、暴飲暴食を繰り返す。その結果、身長164センチに対し体重は90キロ近くのメタボ体形になっていた。「狭心症、糖尿病、高血圧、高脂血症と生活習慣病の見本市のような状態」で、標高531mの札幌・藻岩山に登るのでさえ苦しかったという。

「このまま老け込むのか」――。そのとき脳裏に浮かんだのは60歳を越えてから海外遠征を始めた父、敬三さん(2006年101歳で死去)の姿だった。その後再び体をつくり、2003年70歳7ヶ月で初のエベレスト登頂(当時の世界最高年齢記録)、2008年75歳で2度目、2013年80歳で3度目の登頂を果たし、世界最高年齢記録を更新したのは承知の通りだ。

病に打ち勝ち、走り続ける原動力はどこにあるのだろうか ――。89回目の誕生日である10月12日、秋季高校野球北海道大会の決勝が札幌円山球場で行われ、三浦さんが校長を務めるクラーク記念国際が旭川実業を下して初優勝を飾った。「挑戦することの大切さを教えてくれる校長先生に勝利をプレゼントしたかった」と、クラーク記念国際の山中投手。試合を見届けた三浦雄一郎さんは「甲子園には、もちろん応援に行く」と笑顔で語ったという。鉄人の挑戦はまだまだ続いていくだろう。