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エアバッグ No.844

松山市街地で40代男が車に母親を後部座席に乗せたまま暴走させた事件では、2つの疑問を感じた。1つは、警察が50分間も暴走を止められなかったこと。2つめは、暴走車はバンパーや前照灯がほとんど損壊、左前輪もパンクするなど、暴走中の衝撃・振動はかなり激しかったと思われるにもかかわらず、事件後の写真を見る限り、車のエアバッグ装置が作動しておらず、運転者の危険運転を可能にしていたことだ。

…… などと書き始めたのは、たまたま本欄テーマに「エアバッグ」を予定していた矢先、今回の事件が起きてしまったからだとの言い訳を、信じてもらえると助かるが。

そのエアバッグは、ハンドル部分など装着位置に「SRS」と記されている通り、英語で「Supplemental Restraint System」、日本語では「補助拘束装置」となる。「補助装置」と言うからには何を「補助」しているかと言えば、「主拘束装置」たるシートベルトをである。つまりエアバッグは、シートベルトをしていなければ本来の役割を果たさないばかりか、逆に、作動時の激しい衝撃によってケガをする場合もあるシステムなのだ。

そのエアバッグシステムを1960年代に発明したのが、日本人の小堀保三郎氏であることは案外知られていない。衝撃加速度検出装置+弾性防御袋(エアバッグ)+気化ガス発生装置という、基本的には現在と同じ3点セットで、同じ効力を持っていた。しかも、運転席だけでなく助手席、後部席、両側面、ルーフにも装着できるよう設計されていた。

1912(明治45)年に小学校を卒業し大阪へ奉公に出た小堀氏は、いくつかの仕事を経て38歳で重機製造業を起業。大きくした事業を石川島重工業(現IHI)などに譲渡すると1962(昭和37)年、東京で新会社を設立。サンドイッチ自動製造機など独創的なアイディアで多くの特許を得た中にエアバッグもあり、世界14カ国で特許を取得した。

しかし、時代のほうがまだ、小堀氏に追い付けなかった。当時の国内自動車メーカーはエアバッグに関心を持たず、外国メーカーではベンツ社のように興味を示す先もあったが商談に至らないまま、小堀氏は開発費用の捻出に窮し、1975(昭和50)年、妻女と共に自死の道を選んだ。他方、自社研究で取り組んだベンツ社が世界で初めてエアバッグ装着車を売り出したのは、そのわずか5年後の1980年だった。

「力強く己が営み拓くべし 貧しくともよし 正しくあれば」 ―― 死後発見された小堀氏の日記には、そんな言葉も遺されていた。神様は時々、残念ないたずらをなさる。