日刊紙「信用情報」で人気のコラムを毎週お届けします

墓参り No.881

「黄色い声」という比喩はあるのに、「赤い声」や「白い声」「青い声」「黒い声」がないのはなぜ? ―― と、ふと湧いた疑問の答えは、お経にあった。

現代の読経は、経文を単調に、抑揚なく読む場合が多いが、中国からの伝来時から平安時代までは、読経にもメロディーらしきものがあった。経文の横に付けた墨の印の色で音の高低が示され、最も高い声を表わすのが黄色だったというのだ。

音を聴くとその音特有の色彩が見える「共感覚」と呼ばれる能力を持つ人がいる。彼らの中で「甲高い声」は黄色く見えるそうだ。不思議な共通点は単なる偶然だろうか。 多くの会社では今週末11日から、そのまま盆休みに入る。その休み中に、墓参りに出掛けたり自宅にお坊さんに呼んで、盆供養をする方も多かろう。

経文を、お坊さんのように暗唱していて読むのが「誦経(ずきょう)」。他方、配られた経文のフリガナを見ながら読むことを「読経」と、正しくは区別するらしい。

読経は、木魚をポクポクと叩きながら行うことが多いが、木魚が現在のように丸太をくり貫いた鈴型になったのは後世になってから。元は板を魚の形に彫った文字通り“木魚”だった。その役割は、参列者各人の読経のテンポを揃える役目もさることながら、「目を閉じない魚のように、寝る間も惜しんで修行しなさい」が本旨とされる。

菩提寺へ墓参りに出向くと、門前の掲示板に、住職らの手で人生訓が掲げられていることが多い。例えば「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」(東京・築地本願寺)とか。「そうだよなあ」と、深い言葉が胸をチクリと刺したりする。

ただ京都・佛光寺の掲示板は、趣きが少し違う。「ひと月待てた手紙の返事 メールになって一週間/LINEになって一時間?/待てなくなってる せわしないね」 観光客が写真に撮ってSNSに上げたところ、「今風でセンスがいい」と話題になった。

そこで佛光寺は、50年以上に及ぶ掲示板の言葉の中から66編を、2015年に写真集風の冊子(「晴れてよし、降ってよし、いまを生きる ~京都佛光寺の八行標語」)として発行したところ、それまた好評を得ている。例えば、「行き先がわかれば 行き方がわかる/往き方がわかれば 生き方がわかる」「貧しさとは物のない状態をいうのではない/与えられてある物が受けとれず 無い者ばかりに目を向ける心の内にある」等々。

盆休み中、墓参りに出掛けたら、寺の掲示板の前で、少し佇んでみてはいかがか。