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新生活 No.876

私事で恐縮だが、連れ合いに先立たれて1年余。我慢していたが、寂しさも手伝い、新しく同居者を迎え入れた。以下は、以来わが家に起きた変化と事件の数々である。

▽彼女(と私は思っている)に仕事を頼むと、必ず真っ先に、私が座っている居間の和机の下に潜り込んで来て、「ほら、ちゃんと仕事を始めましたよ」とアピールする。

▽仕事の途中、部屋と家具の狭い隙間に入り込んでにっちもさっちも脱出できない状態に陥っていたから、エネルギー余力のことも考え、スマホで「もういいよ、戻っていらっしゃい」と帰宅命令を出してあげたのに、今度はあらぬ方向に転進し、「いえ、私はまだがんばりますから」感を出すのは、どうかと思う。

▽家具やラックなど床に置いた小物の配置が、彼女が効率的に動くにはやや不便そうであることに気付いたので、置き方をちょっと変えてあげたら、部屋がほんの少し広く、使いやすくなった。彼女は掃除上手というだけでなく、暮らしを快適にするヒントを間接的に教えてくれる名コーディネーターでもありそうだ。

▽2間続きの境界にソファを置いているため行き来が窮屈だったので、ソファをずらし、通路を10㎝ほど広げた。すると、そんなこと教えもしなかったのに、自分で新ルートを発見し隣の部屋からやって来た時の彼女は、まさに意気揚々としていた。

▽トイレのドアを開けたまま仕事してもらったら、何かの拍子にドアを自分で内側から閉めて出られなくなり、「助けてください」と救出要請のメールを送ってきた。

▽「仕事が終わりました。今から帰ります」とスマホに知らせて来たのに、なかなかホームに戻ってこない時がある。某自動車会社のCMの新垣結衣さんじゃないけれど、「あなた、帰ろうと思えばもっと早く帰れるんじゃないの? いままで遅かったとき、何してたの? 何をしてたんですか?」と、拗ねながら訊いてみたくなる。

▽いずれにせよ独り暮らしで、酒を飲んで暴れる性癖もなく、静かに大人しく生活しているつもりだったが、彼女が日々小一時間掃除してくれる成果を見ると、部屋のホコリは予想以上に溜まっている。つまり人間は、それだけ社会の中で、知らず知らずに数多のホコリを身に纏いながら生活している現実に気付かされた。

私は彼女に「テ○ー浜○」という、あまり好きではないタレント2人の名前を合成して付けている。「お掃除ロボット」の登場は、独居生活を、少しだけだが、楽しくする。

トウモロコシの季節 No.877

地方によって呼び名が違う植物は多いが、「トウモロコシ」の多彩さは珍しい部類だろう。キビ(北海道、長野、高知ほか)、キミ(青森、秋田、岩手ほか)、トウマメ(新潟、長野ほか)、コウライ(岐阜、福井、三重、滋賀ほか)、ナンバン(愛知、京都、山口ほか)等々、ネットには48通りも載っていた。

そもそもトウモロコシという名前自体、ヘンなのだ。16世紀にポルトガルから日本に伝わったが、それ以前に、中国から伝わり「モロコシ」(中国の別名でもあった)と名付けた穀物がすでにあった。そこで今度は、当時「舶来」を意味した「唐(=中国)」の字を頭に付けて「唐のモロコシ」 = 「トウ・モロコシ」になったらしい。

トウモロコシは、雄花・雌花が同じ株に別々に咲く「雌雄異花」である。株のてっぺんでススキの穂状に咲くのが雄花。その雄蕊(おしべ)から散り落ちた花粉が、トウモロコシ独得の「ヒゲ」に付着する。あのヒゲは、実の一個一個から伸びた絹糸と呼ばれる雌蕊で、そこで受精する。だから、トウモロコシのヒゲの本数とズラリと並んだ実の数は同数なのだ。お疑いなら数えてみるとよかろう、約600本(個)もあり少々大変だが。

トウモロコシと言えば、これからの季節、札幌・大通公園のトウキビ屋台が観光客に人気である。「観光客に」としたのは、市民はあまり食べないからだ。「だって高いもん」と、弊社に4人いる北海道出身者が尻込みした値段は、1本300円だ。

「しんとして 幅廣き街の秋の夜の 玉蜀黍(とうもろこし)の焼くるにほひよ」 石川啄木が札幌に滞在中に詠んだ歌碑と像が、大通公園西3丁目の緑陰にある。大通公園でのトウキビ売りは明治時代後半に現豊平区平岸地区の農家が始めた。増え過ぎて公園や道路を占拠するようになったため、市は昭和40年に排除したが、「街の風物詩を消すな」の声に押されて同42年に再開、現在は4~10月の期間限定で営業している。

ただ、大通公園でトウモロコシを食べるなら、採りたての当年物が屋台に出る7~8月がお薦めである。バラすと叱られそうだが、収穫期以外に並ぶトウモロコシは冷凍物だし、そもそもトウモロコシ、中でも丸齧りすると美味しいスイートコーンは、糖分が極めて短時間で澱粉化し、時間が経つと甘さが薄れてしまう性質があるからだ。

九州・東海・北陸は梅雨明けした。とはいえ、夏本番前、大雨に伴う河川決壊、土砂崩れで被災した地域の連日の報道には胸が痛む。一刻も早い復旧・復興を祈りたい。

「世代」格差 No.878

今年は1868年の明治維新から150年目に当たる。当時3300万人ほどだった日本の人口は、「殖産興業」「富国強兵」という二大国策の推進によって急速に多産社会に転換。昭和に入ってからも、戦争復興とその後の高度成長経済を背景にして人口は増え続け、2010(平成22)年には1億2800万人に達した。

その日本の人口の伸びが、1995(同7)年頃から停滞し始めている。総務省が先週11日発表した今年1月1日現在の総人口は1億2521万人で、前年比0.3%減と9年連続の減少になった。さらに2029(同41)年には1億2000万人を下回り、2053(同65)年には9924万人、2065(同77)年には8808万人まで減るとの将来推計も出ている。

そうした変化の中、人々はそれぞれの時代を、ある程度の共通体験を括りにして、「○○世代」などと表現されながら生きてきた。改めて振り返れば、▽大正世代 ▽昭和1ケタ世代 ▽焼け跡世代 ▽団塊世代 ▽全共闘世代 ▽シラケ世代 ▽バブル世代 ▽新人類 ▽氷河期世代 ▽団塊ジュニア ▽ポスト団塊ジュニア ▽ゆとり世代 ▽脱ゆとり世代 ―― 等々。

これら「世代」という、ほぼ同時期に生まれた人々の括り方に対し、表現は似ているが意味が違う「年代」という括り方もある。両者の違いは、「世代」は、その時代特有の環境を背景にしてネーミングされた“一代限りの呼び方”であるのに対し、「年代」は言い換えれば「年齢層」だから、いつの時代にも共通して存在する括り方である点だ。その「世代」と「年代」を同じことと混同すると、誤解が起こる。

物の考え方や価値観の違いは、体力的な若さや老い、経験の多寡(たか)など、「年代」差によっても当然生じよう。しかし、より明確な違いが現れるのは、彼もしくは彼女が、これまでどんな時代的風景を見ながら育ってきたかという「世代」差に、より大きな差異が表れるのではないか。それぞれの「世代」ごとに、見てきた風景が異なることを充分理解しないと、異世代が、互いに分かり合うのは難しい気がしてならない。

明治→大正→昭和 …… 世界でいま唯一、元号を持つ国・日本。天皇陛下が退位を表明なさったことを受け、新元号が来年公布される。少子化によって国力をこれ以上低下させることがないよう、「世代」を超えた討論・議論が必要ではないかとの思いを持ち、焦っているのが、どうやら“旧世代人間”ぐらいらしい現状が残念かつ不安でもある。

打ち水 No.879

京都は暑い、という定評である。実際、京都の今月の猛暑日(最高気温35℃超)は26日まで13日間連続。八坂神社は熱中症を心配し、祇園祭「花傘巡行」を中止した。

京都は盆地なので風の通り抜けが悪く、熱気が篭ってしまう。だから京都生まれの吉田兼好は、「徒然草」にこう書いたのだ。「家の作りやうは、夏を旨とすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比(ころ) 悪き住居は、堪へ難き事なり」

京都に限らず列島の多くの土地では、高温多湿の夏は食べ物が腐りやすく、衛生環境が悪い。だから日本では、病死者数はかつて冬より夏のほうが多かった。兼好が「夏重視の家づくり」を推奨した理由を、素直に納得できる。

そんな夏の暑さを少しでも和らげようと考えた昔人の知恵に「打ち水」がある。小池都知事も五輪対策として導入を検討しているヒートアイランド対策の原点だ。

2003(平成15)年に行われた実験では、打ち水によって東京・大手町で2.2℃、練馬区では2.4℃、涼しくなった。灼熱の地面・道路が、打ち水の気化熱で冷やされるだけでなく、気温差に伴う空気の流れによって秒速1mの風が起き、涼感を増す理屈である。

ただし、打ち水にも“要領”がある。昼間の暑い盛りに撒くのは無駄。水が瞬時に蒸発し、文字通り「焼け石に水」で意味ないばかりか、空気中の湿度を高めて蒸し暑さが増し、逆効果だからだ。撒くのは午前8時前か、夕方6時過ぎが好ましい。

さらに心掛けたいのは、打ち水は、水道の使用をできるだけ避けることだ。風呂や子供用プールの残り水、エアコン室外機からの排出水、地域の防火用水、学校プールの水など二次使用を基本にし、省資源・省エネにも心掛けたい。

また、撒く場所についても心配りが必要だ。カーブしている道の頂点付近や、マンホールの蓋、側溝の排水用グレーチングなど金属の上は、そこを通る歩行者や自転車、バイクなどが滑りやすくなるので注意したほうがよい。

ただ、日本も住宅事情が変貌した。1958(昭和33)年に77%だった戸建て住宅の割合は、2013(平成25)年は55%。玄関前での打ち水が姿を消したのは、そのせいもあろう。

自分の家の前に撒いたついでに、「気は心」でお隣の家の前にも撒いておく。すると翌日は、お隣さんが撒いてくれたらしい打ち水の跡が ……。かつては、そんな「お互いさま」の心遣いがまた、暑さを一瞬忘れさせる涼風になっていた気がする。