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統計の大事さ No.854

昨年6月に出版された産経新聞論説委員・河合雅司著「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること」が、第22刷を重ねるベストセラーになっている。「日本民族はもはや絶滅危惧種だ」と河合氏は言う。100年も経たないうちに総人口は5000万人に、300年後には約450万人、西暦3000年にはなんと2000人にまで減るとも。

日本にとって最も厳しい時期は、高齢者数がピークを迎える2042年だそうだが、その過程でもさまざまな難題が浮上する。2020年には女性の半数が50歳を超え、2024年には国民の3人に1人が65歳以上になり、2033年には3戸に1戸が空き家になり、2039年には火葬場が不足し、2040年には自治体の半数が消滅する、等々。

こうした予測は、集計数字から導き出された推測に過ぎないと、言えば言えようが、データ分析会社「データビークル」代表の西内啓氏は「統計学を制する者が世界を制する。どんな分野においても、データを集めて分析することで、最速・最善の答えを出すことができるからだ」と著書「統計学が最強の学問である」に説く。

「ナイチンゲールって、どんな人?」と訊かれ、「バカにしないでよ。そのぐらい知ってるさ。1850年代のクリミア戦争で負傷兵たちを献身的に看護した、世界一有名な看護婦じゃないか」と答えただけでは、半正解の「△」しか貰えない。

イギリスの上流階級に生まれた彼女は、当時社会的身分が低いとされた看護の道に、親の反対を押して進んだだけでなく、戦争で前線の医師や看護婦が足りないことを知ると、志願して野戦病院へ赴き、不眠不休で負傷兵たちを看護した。

しかし、彼女が残した功績は、看護だけではなかった。戦地では、実は「負傷」を原因とするより30倍も多い兵士が、劣悪な衛生環境に起因する「感染症」によって亡くなっている実態を、彼女は一人一人の死因を集計・分析することで知ったのだ。

彼女は、1000ページに及ぶ報告書をヴィクトリア女王直轄の委員会に提出、衛生管理の重要性を訴えた。その結果、戦地における感染症の発症が抑えられるようになるとともに、看護師という仕事の重要性が評価されるきっかけになった。

「世界の医療・福祉制度を大きく変えたのは、看護師としてのナイチンゲールではなく、実は同時に統計学者でもあった彼女の大きな功績だ」(京都大学客員教授・瀧本哲史著「ミライの授業」、要約)

地道な統計が示す実態や予測を、軽んじてはなるまい。

マスク大国・日本 No.855

日本は「マスク大国」である。ウェザーニュース社の先月調査によると、マスク着用者は過半の54%。日本人の場合、他人から風邪などを伝染(うつ)されない予防だけでなく、知らぬ間に罹ってしまったかも知れない風邪を、周囲にできるだけ伝染さないよう心掛ける配慮もまた、マスク着用が増える理由ではなかろうか。その結果、年間20億枚とされる日本のマスク消費量(日本衛生材料工業連合会調べ)は、どうやら世界一らしい。

日本にマスクが入ってきたのは明治初期。ただし、当時の用途は「粉塵」対策だった。形は現在の立体型マスクのようだが、裏返した内側には、真(しん)鍮(ちゅう)の金網に金属糸で編まれた布が、粉塵を濾過するフィルターになっていた。

日本に、マスクを広めるきっかけになったのは1918(大正7)年のインフルエンザ(スペイン風邪)の大流行だった。内務省調査で死者39万人。このため政府は、「!ンキイバのゼカリヤハしべる恐」「!ずら知命ぬけかをクスマ」と、当時は右から左へ読むキャッチコピーを書き込んだポスターを作って、全国に貼り出した。

その後もマスクは1934(昭和9)年などインフルエンザが流行するたびに爆発的に売れ、素材改良も進んだ。日本でガーゼ素材のマスクが誕生したのは1950(同25)年、現在主流の不織布製のプリーツ型が開発されたのは1973(同48)年。1980年代からは花粉症対策などにも用途を広げ、市民生活にさらに浸透していった。

最近は、花柄などプリント模様などのおしゃれマスクも増えている。「マスク姿は3割増し可愛く見せる効果がある」という俗説は、まんざら嘘ではなさそうだ。なぜなら、人間の脳には、隠された部分を過去の経験を基づき都合よく補完する「空間補完能力」がある。つまり、マスクで隠れた輪郭や鼻や口元など顔の大部分を、ついつい理想的にイメージしてしまうため、「マスク美人」が勝手に出来上がるのだ。

さらに近頃、少数派ながら若者たちの間で見かけようになったのが「黒マスク」だ。ある男子アイドルがプライベートで使ったのが評判になったらしい。なるほど、全身を黒やモノトーンでシックに決める若者ファッションに、マスクだけが白いのは台無しで、黒マスクは、使う人が使えば、カッコいい。

ただ ……。「!ンキイバしべる恐」のポスターに勧められてオジサンやオバサンたちが使い始めた100年前、マスクと言えば黒一色だったと、バラしてはまずいかな?

失敗の本質 No.856

録画したままになっていたNHK/BS「戦慄の記録 インパール」(2017年12月放送)を、たまたま「建国記念の日」の休日に思い出して、観た。

1944(昭和19)年3月、日本軍がビルマ(現ミャンマー)から9万人の将兵を注ぎ、イギリス軍が拠点を置いたインド北東部を3週間で攻略することを企図した「インパール作戦」は、結果として、太平洋戦争で最も無謀な作戦だったとされる。

インパールへ辿り着くまでに、日本軍は最大川幅600mのチンドウィン河を渡り、標高2000m超のアラカン山系を越え、470㎞余を踏破しなければならなかった。結果を言えば、インパールに辿り着いた者は1人もいないまま、約3万人が命を落とした。

さほど無謀な作戦が、なぜ決行されたのか? ―― それは、かつて盧溝橋事件を指揮した牟田口廉也中将がビルマ方面軍の第15軍司令官に昇進したことに起因する。彼が示したインパール進攻作戦に対しては、当初は軍内にも「補給が困難」とする反対意見が多かった。しかし牟田口司令官は「消極的だ」と反対論の師団長3人を次々に更迭。最後は、「補給はまったく不可能」と明言した者に対して全員が「大和魂はあるのか。卑怯者!」と怒鳴りつけるなど、従わざるを得ない空気だったという。

短期決戦の予定だったから、兵士らは3週間分の食糧しか持たされていなかった。しかし作戦は難航。食糧が不足しても牟田口司令官は作戦中止の進言を聞き入れず、困窮を訴える部下たちを「臆病者」と罵るだけ。作戦の失敗はすでに明々白々だったにもかかわらず中止しない前線に、大本営がようやく撤退命令を出したのは4カ月後だった。

しかし、遅きに失した。病気や飢餓による死者が相次ぎ、日本軍の撤退路は死体で埋まった。のちに「白骨街道」とまで呼ばれることになった所以である。

合理性より人間関係や精神論で意思決定がなされる組織、その場の“空気”で議論が支配される状況、役職上位者の過大な自己評価がもたらす判断の誤り ―― 組織において問題となる根っこは、残念ながら今も昔も変わらない。

戸部良一、寺本義也ら戦史研究家6人による共著「失敗の本質 ―― 日本軍の組織論的研究」(中央公論新社、1991年初版、2017年65刷)もまた、現代企業の組織に通底する問題点を指摘している。筆者らが「無謀な戦争で傷つき斃(たお)れ、戦後の平和と繁栄の礎となった人々に捧げる」と「まえがき」に綴った思いを含め、できれば一読を、と添えたい。

チームワーク No.857

試合中、作戦の打ち合わせで女子チームのメンバーが「そだねー」と口にする北海道訛りが可愛いとか、ハーフタイムに円座して「おやつ」を食べる光景もまた微笑ましいとか、いま平昌(ピョンチャン)五輪ではカーリング競技の人気が妙なところで高まっている。

本来、試合進行が静かで地味なカーリング競技。それなら選手全員にピンマイクをつけ、メンバーが試合中に交わす普段着の会話をそのままテレビに流せば、観客の関心を高められるのではないかという、スポーツ界で“収音の権威”と呼ばれるデニス・バクスター氏の提案を2006年トリノ五輪から採用したシステムだそうだ。

自分や敵のストーンを、どこにどの程度の角度、深さ、強さで当てたら敵・味方の石がどういう形に広がるか、といった程度なら、頭の中でビリヤードを思い描けばなんとかイメージできなくもなかろう。しかしカーリングは、もっと厄介だ。

例えば、最終的に「ハウス(同心円)」中央に自分の石を多く置いたほうが勝ちになるゲームのはずなのに、途中ではなぜ、ずいぶん離れた位置に「ガード」と呼ばれる石を、しかも第一投から置いたりするのか? あるいは、せっかくハウス内に置いた石に、どうして再び自分の石を当ててハウスの外に出してしまったりするのか? 挙句は、相手に1点取らせるようにわざと仕向ける場面まであったりするのはなぜなのか?――。

最初は観ていても理解できなかったプレーの意図、解説者の解説が、しかし何試合も観ているうちに少しずつ分かってくるところがカーリング競技の面白さなのだろう。

チームワークが何より大事な競技であることは、観ていれば分かる。ただし、石を投げる前に考えるのは、最善のA案だけではないそうだ。必ずB案、C案を用意し、もし投げ方のミスや氷の状態が変化してコースやウエイト(速度)が予想よりズレそうな時は、スキップ(指令役)の指示で、全員が懸命に力を合わせて氷をスイープ(=石が滑るコースを掃く)し、石を目標に近づけようと、最後の最後まで懸命に努力する。

カーリング競技では、多くの国の「代表」チームは、国内各チームから有力選手を集めた「選抜」方式を採らない。日本でも国内を勝ち抜いた男子は「SC軽井沢クラブ」、女子は「ロコ・ソラーレ北見」がそのまま「日本代表」になっている。理由は、各チームからの寄せ集めでは難しいほど、日頃のチームワークが大事だからだ。

ならば、私たちの会社だって、チームワーク次第でもっと強くなれるのではないのか。