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芽吹きの年に No.943

謹んで新年のお慶びを申し上げます。重ねて、本年も変わらぬご愛読と、倍旧の叱咤・ご鞭撻を賜りますよう、心からお願い申し上げます。

今年の干支は「壬寅(みずのえとら)」。本来の干支は「甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)」の「十干」と「十二支」を合わせて「十干十二支」で表される。それぞれを組み合わせるとその数は60種類にも及ぶ。

干支の意味合いからすると今年は「躍動する」「新たなものが芽吹く」といった成長・変革の年となりそうだが、果たしてどのような一年になるだろうか。

ちなみに前回の壬寅にあたった1962年は流行性感冒(インフルエンザの一種)が東京で大流行し、さらに世界では旧ソ連とアメリカの間でキューバ危機が勃発している。新型コロナウイルスの感染拡大、さらにウクライナ問題で対立している欧米とロシアの緊張や、米中摩擦といった国際問題が取りざたされる今と状況が類似しているのは何かを暗示しているのか。さらに、その前の壬寅1902年は日英同盟が締結され、日本が第一次世界大戦に参戦するきっかけとなった年である。こう知るとまずは今年一年の無事を祈りたくなる。

さて、私たちを取り巻く環境はどう変わっていくのだろうか。コロナウイルスの感染拡大で、従来型のお客様とマンツーマンで販売する実店舗から、インターネットを通じて幅広い顧客をターゲットとした販売手法への転換が予想以上に進んだ。また、SDGsへの取り組みが重要視され、エコ・再生が大きな社会テーマとして横たわっている。今後、あらゆる在庫への風当たりがより強くなるだろう。また、原材料の価格高騰、コンテナ不足による物流コスト高も3~4月頃までは続くとも聞かれ、為替も円安含みの動きを見せており、特に中小企業にとっては厳しい向かい風に晒される可能性が高い。世界的に拡大傾向にあるオミクロン株の感染状況も気がかりだ。すでに多くの場面で自粛・我慢が限界を迎えつつある。対処すべき問題は山積みといっていい。

と、悲観的な事ばかりを並べたところで、物事は何も好転しない。私たち一人一人が心を強く保つことがより重要になるだろう。そのうえで、干支の通りに『厳しい冬を越えて、芽吹き始め、新しい成長の礎とする』 ――そんな年になることを心より願わずにいられない。

立春 No.944

二十四節気における“立春”が過ぎ、暦の上では春がはじまった。とはいえ、まだ寒さは厳しく厚手のコートが手放せない日々だ。

“冬来たりなば春遠からじ”という言葉がある。てっきり原典は中国の故事なのだろうと思っていたら、英国の詩人シェリーの長文詩『西風に寄せる歌』の一節だという。つらい時期を耐え抜けば、幸せな時期は必ず来るというたとえで、いまはコロナ禍を冬になぞらえて語られることも多い。

シェリーが生まれた英国は曇りの日が多く、冬は日照時間が短くなる。日光を浴びる時間が少ないとビタミンD不足となり、この影響もあって「冬季型うつ」になる人が多くなるなど、心身の不調を訴える人が増える。ビタミンDには骨を丈夫にする働きがあり、不足すると骨粗しょう症になるリスクが高まるという。また免疫機能を調節する働きもあり、摂取することで風邪やインフルエンザなどの感染症に抵抗する力もつけることができるそうだ。

日本に住んでいると、紫外線はシミやしわを作るお肌の大敵というイメージが強く、日傘や長袖でなんとか日差しを防ぐことばかりを考えていたが、日光を浴びることは私たちの身体に必要なのだ。欧米の人たちが少しの間でも日の光を求めて日光浴していたのは、ただ日焼けすることがカッコいいというだけではなかったのだ。

ところで、日本に住んでいるとはいえ、ビタミンD不足の心配がまったくないとはいえない。日本海側の日照時間が少ない地域はいうに及ばず、コロナ禍で家に籠る生活が続き外出をあまりしないという人も多いだろうし、車通勤で滅多に外を歩かない人も、知らないうちにビタミンD不足になってしまっている可能性がある。たとえ日光を浴びても、効果の高い日焼け止めをしっかり塗っていては、浴びたことにならないから要注意だ。

長引くコロナ禍でうつ病の人が増えていると聞く。外出制限や先行きの不安は、多くの人の心の健康に大きな影響をおよぼしている。経済的な問題など簡単に解決できない事柄も多いが、お天気の良い日は、外へ出て散歩をしてみよう。もちろん日焼けには気を付ける必要があるが、適度に日光を浴びることは身体にも良いし、日なたを歩けば前向きな気持ちになれるだろう。春はすぐそこまで来ている。

居酒屋の生ビール No.945

ビールメーカー大手4社の2021年ビール類販売数量は、各社とも前年の実績を下回った。キリンが4.1%、サッポロが4.4%、サントリーが8%のそれぞれ減。アサヒは売上ベースで4%減となった。市場規模は17年連続の縮小だが、そんななかにあって明るい話題としては『アサヒスーパードライ 生ジョッキ缶』の大ヒットではないか。

一般的な缶ビールの小サイズは350mlだが、生ジョッキ缶の容量はなぜか 340ml。ジョッキを思わせる缶の蓋をフルオープンとし、開栓すると缶内部にシュワーっと泡が湧き出る楽しい仕掛けがある。飲み終わるまできめ細やかな泡が続き、もちろん味やキレのよさにも定評がある。店頭での販売価格はコンビニで210円から220円、スーパーは200円前後とそれほど割高感はない。家飲みスタイルを大きく変える商品だ。

昨年4月にコンビニでの先行販売を開始したが、泡が湧きあがる動画がSNSに出たことで人気に火がついた。ビール離れが叫ばれる若者層や普段ビールを飲まないという層まで巻き込んで、爆発的に売れたことから商品供給が追い付かなくなる事態に。発売2日後に早くも出荷を一時停止、6月に再発売したが、「1人3本まで」などと制限され、その後も数量限定で随時発売する形が続いていた。

「早く飲みたい」というニーズに応えるため、生ジョッキ缶は3月29日発売分から生産体制を大幅に強化する。年間製造可能数量を昨年比5倍に引き上げ、大びん633ml×20本に換算して約1290万箱、実数約2000万箱とした。また同時にリニューアルも実施し、缶の工夫によって開栓時の泡立ちをさらに向上させ、飲み口が泡で覆われるまでの時間を半減させた。缶体に「きれいな(泡)の楽しみ方」を記載しているのも面白い。

2021年度にヒットした食品を表彰する「第40回食品ヒット大賞」(日本食糧新聞社制定)の食品ヒット大賞に、『アサヒスーパードライ 生ジョッキ缶』が選出されたのも、話題性や販売状況から当然の結果といえるだろう。食品ヒット大賞は1982年からスタートしたが、毎年受賞商品が出るわけではない。実際、2019年、2020年は「該当商品なし」だったが、3年ぶりに大賞に輝いたのも、味の追及ばかりではなく、わくわくするような商品開発へのアイディアがあったからだ。「居酒屋の生ビールを家庭で」という庶民のニーズに応えたことで、大ヒットにつながったのだろう。

寒い冬も終わり、弥生入り。そろそろビールがおいしい季節である。

語彙力 No.946

2月、“森林限界”という言葉がSNSでトレンド入りした。森林限界とは高い木々が育たなくなる限界線のことで、富士山でいえば5合目付近である。

この言葉を発したのは、最年少19歳で五冠を達成し、3月9日名人戦の挑戦権を争うA級への昇級を果たした将棋の藤井聡太五冠。竜王戦の勝利から一夜明けた記者会見で、「富士山でいうと今何合目ですか」との質問に「頂上が見えないという点では森林限界の手前です」と答えたことから、この言葉が一気に注目を浴びた。夢の八冠まであと三つ残っており、まだ先ということだろうが、普通に5合目ですと言わないところが語彙の豊富な藤井五冠らしくてカッコいい。

IT化が進んだ現代では、文章を書くことは減ったものの、代わりに文章を入力することが増えた。電話よりスマホでテキストメールやラインで要件を伝えることが多くなり、文章力、語彙力が以前より重要になってきた。もちろんつたない言葉でも意思の疎通は取りあえずできる。しかし、豊富な語彙を使い適格な文章を記せば、自分の思いや考えを相手に正確に伝えられるし、知識ある社会人として信頼を得られるに違いない。

思い起こせば、藤井五冠はデビュー間もない中学生の頃から“望外(ぼうがい)”“僥倖(ぎょうこう)”“茫洋(ぼうよう)”など、大人でも知らないような難しい言葉を使って周囲を驚かせていた。彼の語彙力の高さは子供の頃からの読書量の多さだといわれている。語彙を増やすにはやはり読書が一番らしい。それも様々なジャンルの書籍を読むといいそうだ。

しかし、そう簡単にたくさんの本を読めるわけではなく、ならばゲームでと、言葉を当てるパズルゲームを始めた。きっかけは、最近SNSで話題になっている英単語のパズルゲーム “Wordle”。5文字の英単語を推測するもので、入力した単語のアルファベットが位置も文字も一致していたらマスが緑に、文字だけが合っていたらマスが黄色になる。これをヒントに6回のうちに英単語を当てるゲームだ。英単語を多くは知らない自分にとってはなかなか難しいが、シンプルでおもしろい。

Wordle人気の高まりで、日本語版Wordleもいくつか出ており、これなら語彙力がつくかと始めてみたが、ひらがなを使うため難易度が高く、毎回頭を悩ませている。考えてみれば、そもそも語彙が少なければ当てはめることができる単語も少ないわけで、まずは読書をして語彙を増やすのが先だった。

何事も一朝一夕にはいかないものだ。

宇宙港 No.947

1969年7月、人類が初めて地球から38万km先の月に降り立った。TVで世界中が見守る中、アメリカの宇宙船アポロ11号から切り離された着陸船イーグル号から2人の飛行士が月面“静かの海”に降り、21時間ほども滞在するという歴史的な出来事だった。

それから半世紀以上経ったいま、宇宙港の開発計画が各国で加速している。飛行機が空港から離発着するように、宇宙に行くためにも拠点が必要なのである。宇宙港は文字通りスペースポートともいわれ、ロケットなどを打ち上げる施設のこと。宇宙観測などの需要増に伴って人工衛星の打ち上げ数は増加しており、2030年には年間1000機にもなると予想されている。しかし射場の数は不充分で、アジアではシンガポールとマレーシアが宇宙港計画を打ち出している程度だ。

日本では北海道大樹町、和歌山県串本町、大分県国東市などが適地として動いている。宇宙港はどこにでも建設できるわけではない。垂直・水平打ち上げに適した射場として、まず地理的な条件が重要視される。緯度、方位角の自由度、安定した天候条件、空域の混雑度合いなどが考慮される。ロケットは打上げ時のエネルギーを節約するために、地球の自転を利用するとのこと。そのため、打ち上げる方向は東向きで(衛星の種類によっては南向き)、よって東に開けた平坦な土地が必要である。打上げ時には発射音や震動が響くため、当然都市部など人口密集地はNGである。

こうした物理的な条件のほかに重要なのが地域住民の理解である。北海道の大樹町は帯広市の南にある人口5400人ほどの小さな町だが、宇宙に関する熱量は並々ならぬものがある。宇宙ベンチャーにも積極的で、36年前の1985年に宇宙産業誘致として「宇宙のまちづくり」をスタートさせ、官民あげて夢を追い続けてきた歴史がある。2013年にはJAXA(宇宙航空研究開発機構)が町の多目的航空公園での大気球実験で高度世界記録を更新。世界的な機関を通じて太陽系の小惑星に「Taiki(タイキ)」の名がつけられているほか、2021年4月からアジア初となる民間にひらかれた本格的な宇宙港「HOSPO(ホスポ)」(北海道スペースポート)」を本格稼働させている。

宇宙産業の市場は2040年に120兆円の膨大な規模になるという報告もある。ビッグデータによる地球観測、高レベル通信サービス、天候・災害予測、GPS活用、軍事への応用など将来性は限りなくある。日本が遅れを取ってはならない分野だろう。

陰翳礼讃 No.948

「日本人はもともと、薄暗い家屋の中で暮らしていました。それは現代の暮らしとは“別の豊かさ”に満たされていました」と鑑賞学者の小林泰三氏は語る。

小林氏はデジタル技術を駆使して美術品などの色彩復元を手がけ、NHK『国宝探訪』(2000年4月~2003年4月放送)でCGを担当したほか、NHKハイビジョン『東大寺-よみがえる仏の大宇宙』(2006年12月放送)では、創建当時の大仏殿の内装と仏像の色彩を復元した。また、著書『誤解だらけの日本美術(光文社新書)』で、正しい美術鑑賞について、美術作品が製作された当時の色彩を復元することで製作者の意図を読み解く重要性を説いている。数百年の時を経て退色し、破損、汚損して製作時と異なる色彩に変化変質した美術作品に対し、「わび・さびがある」などと評し、誤った理解をしているのでは?と現代の美術鑑賞に対する疑問も投げかける。

主に絵画の美術作品をデジタル復元するメリットは、レプリカが低コストで製作でき、一度復元すればインクジェットプリントで何度でも再生産できること。さらに触ることは勿論、直接観ることすら叶わない国宝級の美術作品を、レプリカであれば直に触って、リアルな体験ができることである。

小林氏は、もう一つ美術作品を鑑賞するときのポイントとして、明るく照らされた室内で作品を観るのではなく、薄暗い室内で自然光または蝋燭の灯りだけで観ることを勧めている。琳派の最高峰とされる俵屋宗達が描いた『風神雷神図屏風』の場合、夕陽が照らすような光度で真横から光を当てることで、背景のトーンが暗くなって風神と雷神が浮き上がり、前に飛び出すように迫力が増す。横から柔らかい光を当てることで、作者が表現しようとした作品を正しく鑑賞することができる。つまり、薄明りの中で作品を観ることで想像力を働かせ、膨らませながら鑑賞する“陰翳礼讃”があるとしている。

『陰翳礼讃』は、谷崎潤一郎が1933年に発表した随筆。急速に近代化が進んでいた昭和のはじめに、電灯がなく自然光や薄明りで生活していた頃の美意識について語ったものだ。谷崎はとかく明るすぎる当時の様子を憂い、暗がりの中に美を求めた時代を懐かしむ。同じモノでも、明るいところで見るのと暗がりで見るのとではずいぶん印象が変わってくる。一つの見方だけで判断していては本質を見誤ってしまう。

これはあらゆる物事にも当てはまるのかもしれない。

「OSO18」 No.949

「オソの仕業だ!」。北海道の東部・標茶町の牧場で、放牧中の牛1頭が死んでいるのが見つかった。地面に残された足跡や牛の背中にあった爪痕からみてヒグマだ。その牛はあばら骨が突き破られ、内臓や血液がすっかりなくなっている。異様な死骸の状態を見た牧場主は、地元で恐れられている、コードネーム「OSO18(オソじゅうはち)」の仕業だと確信した。

「OSO18」は、幅18㎝の足のサイズから体重300~350㎏、立ち上がると体長3mと推測される大型のヒグマである。最初の被害は2019年7月。これまでの3年間で合わせて60頭ほどが襲われたとみられる。初めて被害が発生した標茶町オソツベツという地名と、前足の幅が18㎝あることによりこのネームがついた。地元のハンターでも仕留められず、檻を設置しても、頭がいいのか罠には掛からない。

ヒグマは雑食だが、サケ・マスなど蛋白質を豊富に食べられる環境にいると大型化するらしい。元々臆病な性格で、むやみに家畜などを襲うことはないが、一度でも味を覚えると執拗に襲う傾向がある。時として人も被害に合う。

――1970年7月。北海道日高山脈のカムイエクウチカウシ山登頂を目指して出発した福岡大学ワンゲル部の学生5人のパーティーが、標高1979mの少し下でテントを張ったところヒグマが現れた。しばらく様子を見ていると、テントの外に置いていたザックを漁り、食物を食べ始めた。学生たちはすきを見てザックを取り返し、すべてテント内に入れた。しかしこれが間違いのもとだった。ラジオを鳴らし食器をたたいていると、ようやくヒグマは姿を消した。もう来ないだろう。しかし翌日朝、テントの外に大きな黒い影が…「福岡大ワンゲル部ヒグマ事件」は、3人の学生が犠牲になるという日本登山史上最悪の事態に。数日後、ヒグマはハンター10人の一斉射撃で射殺された。

人間の生活圏にはクマの食物となるものがたくさんある。ハチミツや蜂の子、秋になると柿や栗などの果実が豊富だ。効率良く食物を確保できることを学習した個体は、それが誘引物となって人間の生活圏に出没を繰り返すようになるという。

「OSO18」の被害への対応は、もはや町単独では難しく、昨年11月に町と北海道、熊の専門家などが集まり、「捕獲対応推進本部」を立ち上げ、さらに強力な対応を進めている。何度も家畜を味わったオソは、次の獲物を狙っている。

ドレフュス事件 No.950

国家の名誉と人種差別が生んだ冤罪として「ドレフュス事件」は世界的に有名である。

1894年フランスの統合参謀本部情報部のアンリ少佐が、砲兵部隊の大尉であったユダヤ人のアルフレッド・ドレフュスをスパイ容疑で逮捕したことに始まる。普仏戦争に敗れたフランスは、国内のドイツ人をスパイとして警戒していた。アンリ少佐はドイツ大使館の屑かごから最新兵器の120ミリ砲に関する機密情報のメモを入手。この兵器情報は砲兵部隊しか知らず、メモの筆跡が似ていたという理由だけでドレフュスを逮捕した。裕福な家庭で育ち、優秀な成績で大学を卒業した彼に、犯行の動機はなかった。

逮捕は当初、軍の機密だったが、彼がユダヤ人ということで反ユダヤ系新聞が大きく取り上げ、国家的大スキャンダルとして注目される。軍は権威を守るため、彼を何としても有罪にしようと証拠を捏造。その結果、ドレフュスは終身刑を言い渡され、仏領ギアナの悪魔島に送られた。ところが、1896年にドイツ大使館の廃棄書類の中からフランス陸軍エステラジー少佐の名前が浮上した。情報局局長のピカール中佐が調査を指示し、彼がスパイであることをつきとめた。エステラジーの筆跡がメモの筆跡と一致したのだ。中佐は軍上層部にこれを報告したが、上層部は自分たちの威信のためにこの報告を握りつぶす。さらに口止めのため、ピカール中佐をチュニジアに左遷した。

1897年情報を集めていたドレフュスの兄のマチューはメモの筆跡がエステラジーのものとし、彼を国家反逆罪で告発した。しかし、ここでも上層部は保身からエステラジーを庇い無罪放免する。翌年、作家のエミール・ゾラが新聞に『私は告発する』と題した大統領に宛てた公開書簡を発表。ドレフュスの無罪と軍の陰謀を暴いて、世論は二分されたが、ゾラも名誉棄損で逆に告訴され、有罪となり英国へ亡命。その後、アンリが証拠偽造を告白して逮捕されたが、翌日監獄で自殺し、エステラジーは英国に逃亡した。

ドレフュスの裁判はようやく再審となったが、ここでも軍は個人の権利よりも、軍の名誉と国家安定を優先すべきと、有罪判決を下す。だが、今回は大統領が恩赦を与え、1906年に無罪判決を得る。軍は証拠を出せという声にも、機密にかかわると拒否し続けていたが、最終的に機密情報などなかったことも明らかになった。そこにあったのは軍の面子だけである。軍、反ユダヤ主義、右派といった国家主義と、正義を求める人権擁護派との対立。

ドレフュス事件は過去のできごとではない。

純喫茶 No.951

老舗コーヒー店「イノダコーヒ」は9月27日、投資ファンドのアント・キャピタル・パートナーズ(東京)が運営するファンドに株式を譲渡したと発表した。後継者不在のため事業承継が目的だという。

イノダコーヒは1940年創業で、京都を中心に9店舗を展開する。創業当時から布フィルターで抽出を行うネルドリップ式で淹れるコーヒーが特色で、名物は「朝食セット(モーニング)」。ボンレスハム、スクランブルエッグ、野菜サラダ、クロワッサンとベーシックな内容ながら食材にこだわり、一流ホテルのモ-ニングさながらだ。とりわけ本店は洋風のサロンのようなレトロな雰囲気で、実に優雅なひとときを過ごすことができる。今時のセルフサービスのカフェとは一線を画す、いわゆる“純喫茶”である。平成時代、純喫茶は減り続け、純喫茶文化そのものが衰退した。しかしそれとは逆に、我が国のコーヒー消費量は増えている。どうしてコーヒーを飲む人は増えたのに純喫茶は減ったのだろうか。

よく指摘されるのは「大手コーヒーチェーン」と「コンビニコーヒー」の影響だ。どちらも手軽にコーヒーを飲むことができ、新規を取り込むとともに純喫茶から客が流れたとされる。若者を取り込むことができず、中高年の常連客比率が高くなり、ある種の敷居の高ささえ醸成された。かつて純喫茶は、地域の人が自然と集まり、地域コミュニティの一翼を担っていたが、顧客の新陳代謝が進まないことからその役割も失われつつあった。

ところが近年、衰退の流れに歯止めがかかりつつある。昭和レトロブームから純喫茶が見直されているのだ。主役のコーヒーのみならずレトロな店内やナポリタンやクリームソーダ目当てに若者が訪れる店が増え、純喫茶そのものがブームとなっている。大手コーヒーチェーンとコンビニコーヒーのおかげでコーヒー愛飲人口が増加していることもあり、一過性のブームに終わらず純喫茶が持ち直す土壌はある。

今回、イノダコーヒの株式譲渡先であるアント・キャピタル・パートナーズは主に日本国内の未上場株式等への投資を行う投資会社で、グループ会社を含め運用額は2162億円にのぼる。ファンドは、企業を成長させ企業価値を高め次の事業主(株主)に売却し、売却益を得ることが既定路線だ。今後、イノダコーヒの企業価値をどのように高めるのか、純喫茶を守りつついかに成長させるのか注目したい。

理想のリーダー像 No.952

11月15日は幕末の動乱期を疾風のように駆け抜けた坂本龍馬の誕生日であり、命日である。天保6年11月15日、龍馬は土佐藩の裕福な郷士の末っ子として生まれた。そして慶応3年11月15日、京都河原町の醤油屋「近江屋」で暗殺された。15日は四国高知で誕生祭が、京都では護国神社の墓前で供養する龍馬祭がそれぞれ行われる。

生まれた日に死を迎える、歴史上の人物として人気の高い龍馬の運命的なものを感じる。ところが11月15日は旧暦の日付、新暦に直すと誕生日は1836年1月3日、命日は1867年12月10日。今に直すと日付がずれ、龍馬像の一つが色褪せた感じになる。

歴史上の人物には、後世の脚色などで実際の人物像と違った姿として世に伝えられることは珍しくない。坂本龍馬もその一人といえるかも知れない。なぜ暗殺されたかなど謎の多い龍馬だが、大政奉還や薩長同盟の中心的人物という評価は、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』に由来するといわれる。龍馬のこれらの功績は小説の中の作り話で、歴史学では否定されているそうだ。

しかし、龍馬がこの時代にあって、日本の進むべきビジョンを描いていたことを認める歴史家は少なくない。例えば旧幕府の徳川家と薩長が対立する中、日本で最初の商社兼私設海軍「亀山社中」(のちの海援隊)を設立、中小の藩を含めた第三の勢力を結成し、戦争回避の道を探ろうとしたという。

ただ、こうした龍馬のビジョンやアイデアは素晴らしいが、具体的な組み立てとなると、無責任なものも多かったようだ。亀山社中も実を結びかけた途端、航海術の未熟さから船を沈没させてしまう。独創的なアイデアではあるが、それが実現されない。事業として継続していこうとすると、組織性、人材の育成、資金繰り、永続性などが求められる。しかし龍馬が画したプランはこれらに乏しく、企業経営であれば最後に破たんするものばかりだったといわれる。

しかし、卓越した先見性、広い視野と既成概念にとらわれない自由奔放な生き方、将来ビジョンを持ち、それに基づいて発想し行動する龍馬に憧れる人は多い。実在の龍馬がそうであったかどうかより、リーダーの要件を備え持った理想の人物として龍馬に思いを馳せ、人々はそこに理想のリーダー像を重ね描く。龍馬の評価の高さはそんなところからきているのかも知れない。

自己啓発本 No.953

最も商品が売れる12月。寒さが本格化する年末商戦では防寒グッズ、冬物衣料、暖房家電などに動きが出る。また、正月休みを前に書籍の売れ行きも良くなり、中でも「自己啓発本」が毎年コンスタントに売れるという。

セルフヘルプ本、自助本ともいわれる自己啓発本は、能力開発や己(おのれ)の精神的な成長などを促すものとされる。出版不況とはいえ、日本でこのジャンルの本が好調なのは「このままでいいのか」と不安に感じる人が増えているからだろうか。

アマゾンの「自己啓発本売れ筋ランキング」によると、1位『人は聞き方が9割』(永松茂久著)、2位『朝1分間、30の習慣。』(マツダミヒロ著)、3位『超雑談力』(五百田達成著)、4位『お金に困らない人が学んでいること』(岡崎かつひろ著)、5位『うまくいっている人の考え方 完全版』(ジェリー・ミンチントン著) となっている。また『君たちはどう生きるか』は、児童文学者でもあった吉野源三郎が子供たちに向けて書いた本で、戦前の1937年発行にも関わらず、いまも売れ続けている。来年公開予定の、宮崎駿が手がける長編アニメ映画のタイトルにもなっており、直接の原作ではないようだが、この小説が主人公に大きな意味をもたらすという形で関わるのだという。

自己啓発本はほとんど読まないが、1冊だけ本棚にあった。タイトルは『小さいことにくよくよするな! -しょせんすべては小さなこと』(リチャード・カールソン著)で、文字通りくよくよすることから脱する方法が100項目にわたって書かれている。その中の「幸せはいまいる場所にある」という項目に付箋が付いていた。――「悲しいことに、私たちの多くは幸せになるのを延期しようとする。それも無限に。いつかきっと幸せになるはずだと自分に言い聞かせて。請求書を払い終わったら、学校を卒業したら、就職したら、昇進したら、結婚したら…人生はもっとよくなるはずだ。…リストはえんえんと続く。一方で人生はどんどん進んでいく。いまじゃないとしたら、いつ?…幸せになる道などない、そう、幸せこそが道なのだ」。20年以上前に購入したものだが、あらためて読んでみると「いまを穏やかに過ごそう」と少し気持ちが楽になる。

自己啓発本は賛否両論があるジャンルでもあり、「読んだだけでは結果が出ない」「読んで成功する人はわずか」「時間の無駄」といった声もある。しかし「結果を出す」「成功する」だけが読書の目的ではない。