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「八月や…」 No.880

TBS系列の娯楽番組に「プレバト!!(才能査定ランキング)」(木)がある。芸能人・著名人が俳句、生け花、料理の盛り付け、絵手紙、書道、料理など各ジャンルに挑み、その道のプロが腕前を厳しく評価する。筆者が興味を持つ「俳句」では、何度かの挑戦の結果、俳優・梅沢富美男や評論家・東国原英夫、落語家・三遊亭円楽、タレント・千原ジュニアらが、作品を査定・添削する俳人・夏井いつきから「名人」「特待生」などの評価を受けた。それぞれ本業とは別の意外な才能を見せてくれるのが面白い。

今更だが俳句は、「五・七・五」の17音の中に必ず「季語」を含む「有季定型」であることを条件とする「世界で最も短い詩」である。短いからこそ、その中に自身の情感、美意識、自然観、哲学、思想をどう凝縮し、どう表現するかが難しい。半面、難しいからこそ挑戦する者も多く、有力新聞・雑誌の多くは読者を対象に「投稿俳句」欄を設けており、俳句人口は500万~1000万人とも言われる。 俳人・水原秋櫻子は著書の中で、俳句を詠む際の「注意六条 禁忌八条」を提唱した。詳細は割愛するが、「禁忌八条」の最後に「模倣の句は詠まない」と戒めた。

「八月の六日九日十五日」 千葉県の句会に所属する愛好家・小林良作さんは2014年、全国大会に向けて、前句を投句した。若年層にはピンと来ないかも知れないが、60代以降なら、聞いただけで「そっかあ」「そうだよなぁ」と胸に刺さる痛みを覚える方が多かろう。8月6日は広島に、9日は長崎に原爆が落とされ、15日に戦争が終わった。8月のこの3日間は、それだけで、日本人の胸に宿る万感が伝わる名句だ。

ところが、投句して間もなく事務局から小林さんに電話が掛かってきた。「貴兄の投稿句には、誰かの先行句があるようです」 驚いて調べると、事実だった。上句が「八月の」か「八月や」か、または「八月は」なのかという違いはあるが、中・下句が「六日九日十五日」とまったく同じように続く句が、6句もあることが分かった。

最初に詠んだのが1992年、広島県尾道市の医師・諫見勝則さん(故人)だったことも分かった。諫見さんは海軍兵学校出身で、広島や長崎の状況もよくご存知だったそうだ(小林良作著「八月や六日九日十五日」から抜粋、要約)

「八月や六日九日十五日」と、あえてもう一度書こう。あれから73回目の8月を、今週ばに迎える。偶然にも多くの人々が胸に描き詠んだ思いを、決して忘れてはならない。

墓参り No.881

「黄色い声」という比喩はあるのに、「赤い声」や「白い声」「青い声」「黒い声」がないのはなぜ? ―― と、ふと湧いた疑問の答えは、お経にあった。

現代の読経は、経文を単調に、抑揚なく読む場合が多いが、中国からの伝来時から平安時代までは、読経にもメロディーらしきものがあった。経文の横に付けた墨の印の色で音の高低が示され、最も高い声を表わすのが黄色だったというのだ。

音を聴くとその音特有の色彩が見える「共感覚」と呼ばれる能力を持つ人がいる。彼らの中で「甲高い声」は黄色く見えるそうだ。不思議な共通点は単なる偶然だろうか。 多くの会社では今週末11日から、そのまま盆休みに入る。その休み中に、墓参りに出掛けたり自宅にお坊さんに呼んで、盆供養をする方も多かろう。

経文を、お坊さんのように暗唱していて読むのが「誦経(ずきょう)」。他方、配られた経文のフリガナを見ながら読むことを「読経」と、正しくは区別するらしい。

読経は、木魚をポクポクと叩きながら行うことが多いが、木魚が現在のように丸太をくり貫いた鈴型になったのは後世になってから。元は板を魚の形に彫った文字通り“木魚”だった。その役割は、参列者各人の読経のテンポを揃える役目もさることながら、「目を閉じない魚のように、寝る間も惜しんで修行しなさい」が本旨とされる。

菩提寺へ墓参りに出向くと、門前の掲示板に、住職らの手で人生訓が掲げられていることが多い。例えば「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」(東京・築地本願寺)とか。「そうだよなあ」と、深い言葉が胸をチクリと刺したりする。

ただ京都・佛光寺の掲示板は、趣きが少し違う。「ひと月待てた手紙の返事 メールになって一週間/LINEになって一時間?/待てなくなってる せわしないね」 観光客が写真に撮ってSNSに上げたところ、「今風でセンスがいい」と話題になった。

そこで佛光寺は、50年以上に及ぶ掲示板の言葉の中から66編を、2015年に写真集風の冊子(「晴れてよし、降ってよし、いまを生きる ~京都佛光寺の八行標語」)として発行したところ、それまた好評を得ている。例えば、「行き先がわかれば 行き方がわかる/往き方がわかれば 生き方がわかる」「貧しさとは物のない状態をいうのではない/与えられてある物が受けとれず 無い者ばかりに目を向ける心の内にある」等々。

盆休み中、墓参りに出掛けたら、寺の掲示板の前で、少し佇んでみてはいかがか。

「無言館」で No.882

長野県上田市の中心街から車で20数分。小高い山の木立の中に、戦没画学生慰霊美術館「無言館」は紛れるようにひっそりと、建っていると言うより佇んでいる。

館主は窪島誠一郎さん、1941(昭和16)年生まれ。作家・水上勉氏と内縁の妻との間に生まれたが、家庭の貧しさから2歳で養子に出たあと、飲食店や小劇場、画廊の経営などさまざまな仕事で苦労を重ねた生い立ちを、自らはほとんど語らない。

1994(平成6)年だった。上田市に開設した美術館「信濃デッサン館」の催事ゲストに洋画家・野見山暁治氏を迎えた際、才能ある多くの画学生たちが戦争に刈り出されて戦死し、彼らの作品が世に出ないまま埋もれている話を聞き、衝撃を受けた。

彼ら戦没画学生の遺作を展示するための美術館を作ることを決意した窪島氏は、野見山氏らと全国の遺族宅を回って趣旨を説明し、亡くなった画学生の作品を蒐集する活動を始め、1997(同9)年、37人分、87点を展示する同館を開館した。

現在は、「無言館」のほど近くに建てた第二展示館「傷ついた画布のドーム」を合わせて約130人分、約700点の作品と、彼らが出征直前まで使っていた絵筆や絵の具、パレット、あるいは、彼らが家族や恋人あてに遺したり戦地から送った、小さな文字で、余白がほとんどないほどびっしり書き込まれた絵葉書などが展示されている。

画学生らは“自分が最も大切と思う対象”を作品に遺したという。だから、家族や妻、恋人をモデルに描いた作品が少なくない。中には「ぜひ君を描かせてほしい」と頼まれ、裸婦のモデルを承諾した婚約者もいた。完成直前、「帰ったら必ず完成させる」と言い残して出征した画学生から届いたのはしかし、戦死の知らせだった。

だから、それほど広くないこの美術館内で、彼らの作品・遺品を観て回る見学者は、一様に手を口に当て、無言だ。咳払い一つ聞こえない。否、できないのだ。

観に行くまでは、戦没画学生らの声なき訴えだから「無言館」なのだろう、と思っていた。違った。作品を、あるいは一枚一枚の絵葉書、一点一点の画材など展示品を見た者が思わず息を止め、言葉を失ってしまうから「無言館」だったのだ。

夏休み中、仏前・墓前で手を合わせた方は多かろう。15日の全国戦没者追悼式では、黙祷もされただろう。夏は先祖を迎え、送る季節。ただ、盆が過ぎれば行事は終わる。しかし、戦没者を二度と出してはならぬという決意は、決して、終えてはならないのだ。

8月31日症候群 No.883

「夏休み 終わらなかったらいいのに」 ―― 今週初めの地元紙は社会面トップにそんな見出しで、2年前に東北の女子中学生が2学期の始業式翌日に自殺した話題を取り上げていた。夏休み明け前後は、子供の自殺が最も多い時期だからだ。

人口10万人当たりの自殺死亡率が先進国では最も高い日本は、とりわけ15~39歳の死因の第一位に「自殺」が上がる(内閣府2015年版「自殺対策白書」)。

また1972~2013年(42年間)の18歳以下の自殺を日付別にみると、①9月1日=131人 ②4月11日=99人 ③4月8日=95人 ④9月2日=94人 ⑤8月31日=92人と、子供たちの自殺が春・夏の休み前後に多い事実が浮き彫りになる。 「新学期前後に自殺が多発するのは、生活環境が大きく変化することによって児童・生徒がプレッシャーを感じ、精神的動揺が生じるためではないか」と同白書。同時に、ある時期にある年齢層の自殺が増えるのは若年世代に限った現象ではなく、9月10日頃~「敬老の日」(今年は17日)には高齢者の自殺が目立つと指摘されている。

「8月31日症候群」という新語も聞く。夏休みが終わる直前まで宿題に手を付けられない症状で、そういう子供が最近増えているそうだ。①提出物のリストは最初に目を通しているのに、期限直前まで放置する ②1週間前ぐらいになるとさすがに気になり、ストレスを感じ始めるが、それでもやはり見て見ぬふりを続ける ③最終日にやっと手を付けるが、しかし徹夜まではしない ―― のだとか。「宿題」を「処理すべき課題」と置き換えた時、実は同様の傾向が近頃の若者にみられると聞くと、力が抜ける。

だからかどうか、この時期は「宿題代行サービス」の利用をめぐる是非論も高まる。「自由作文・読書感想文=5000円~」「自由研究=1万5000円~」など、ネットには「営業案内」がわんさか。ただ、宿題代行サービスの利用は、単にラクするためというより、「受験勉強や塾通いのためには、学校の宿題など時間のムダ」などと、むしろ親の考えで「やむを得ない」とする考えが意外に多いのが実態だ。

「とは言え、何でもカネで解決できるという考え方を、親が子供の心に植え付けるのは大問題」と三重大学の奥村晴彦教授。反論できる者は誰一人としていまい。 自民党総裁選が近づいている。こうした日本の実態をどう受け止め、どう導いていくつもりなのか ――“次期首相候補”とほぼ目される二人に、考えを、とくと聞きたい。