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売り手の心 No.863

米国の玩具販売大手「トイザラス」が先月15日、全米735店舗を閉鎖し事業を清算する手続きを米連邦破産裁判所に申請した(同社が合弁会社の株式85%を保有する「トイザらス・アジア・リミテッド」の子会社で、日本で160店舗を展開する「日本トイザらス」は、親会社の売却先が決まるまでは従来通り営業を続けていく)。

かつて世界で、また日本でも、その進出が多くの街の玩具店を廃業・倒産に追い込んだトイザラス。子や孫の手を引き、広い売り場を歩いた諸兄も多かろう。

しかしそんな世界的超大手も、ネット通販の浸透が生んだ「ショールーミング」と呼ばれる新しい購買行動によって経営を脅かされることになる。つまり客は店に出向き商品を手にして品質を確かめるが、納得しても、そのままそこで買うわけではない。家に戻り、パソコンでネット通販店を検索し、最も安く売っている店に注文するのだ。

さらに最近では、子供らは動画サイト「You Tube」で新しいおもちゃを見つけ、「これが欲しい」と親にせがむだけ。親も通販サイトで価格を見比べ、一番安い店で発注ボタンを押す。店舗に行かなくても、欲しい物が何でも瞬時に手に入る時代。「それなのに、トイザラスは過去の成功体験が災いし、店舗至上主義から脱け出せなかった」と流通コンサルタント・後藤文俊氏は凋落の原因を指摘する。

中には本のように、価格が書店でも通販でも変わらない商品もある。それでも、ネットで買えば「10%のポイント還元」など、実質1割引きになったりする。企業が利益確保のため合理的行動を追求するのと同様、購買者もまた合理化を追い求める結果起きる「店頭販売のショールーム化」は、もはや止めようのない流れなのだ。

ただし ――。

ある日、昼休みに新聞書評で読んだ新刊が気になり、会社帰り、最寄駅近くの個人書店に久しぶりに寄った。客が誰もいない店の奥で、いかにも書店主といった印象の店主が、静かに本を読んでいた。平積みされていた目当ての本を手に取り差し出すと、店主はチラリとこちらを見、カバーを掛けながら少し、はにかんだ様子で言った。「この本、私もいま読んでます」 。店を出る時、背中で受けた「ありがとうございました」の声も心地良く、この店には、また来そうな予感がした。

対面販売には売り手・買い手の気持ちの通い合いという、捨てがたい良さと強みがある。

春うらら No.864

「彼女」の名前と消息を、十余年ぶりに耳にするとは思わなかった。それも朝の情報番組でお天気オジサン・森田正光氏の口から。いまも健在だそうだ ―― 40代半ば過ぎならほとんどが知っているであろう「彼女」とは、競走馬「ハルウララ」のことだ。

高知競馬場に、一生懸命走っても走っても1着になれず、「連敗」記録を更新し続けている馬がいる。まるで働きバチ世代のオジサンみたいだ ―― と、当時その健気さが評判になった「ハルウララ」は1996(平成8)年、北海道の牧場で生まれた。

小柄で臆病。買い手がつかなかったため、牧場所有のまま高知競馬場の宗石大(むねいし・だい)調教師に預けられた。「メリージェーン」と最初は名付けられるはずだったが、すでに登録馬がいたため、「ハルウララ」に変えられた。「名前を可愛くすれば、性格も少し変わるかも知れない」(宗石氏)と考えた思惑は残念ながら外れたが、逆に、もし愛らしい「ハルウララ」でなかったら、ここまで人気者にならなかったかも知れない。

ともあれ、1998(平成10)年11月の初出走が5頭立ての5着。以来、蹄(ひづめ)を傷めて出走を取り止めたことが1度あった以外、「ハルウララ」は年間約20レースをコンスタントに出走し続けたが、1度も勝てず、2001 (同13)年末にはついに60連敗に。

そんな「ハルウララ」の連敗記録に注目していた人物がいた。高知競馬場の実況アナウンサー橋口浩二氏だ。彼女の連敗記録を逆手に、高知競馬場をPRできないかと周囲の新聞記者に話して回っていたところ、高知新聞が2003(同15)年6月に「1回ぐらい、勝とうな」の見出しで記事を書いた。これを翌月に毎日新聞、フジテレビが追い、さらに東京新聞が「リストラ時代の対抗馬」「負け組の星」と報じたのがきっかけになり、全国的な「ハルウララ」ブームに一気に火がついた。

その「ハルウララ」が結局113戦0勝の生涯成績で2006(同18)年に登録抹消され、その後、千葉県の保養施設で心理療法のセラピー活動に携わり、さらに北海道の牧場で繁殖牝馬になった後、2013年からは千葉・御宿市の牧場「マーサファーム」に移って現在も余生を送っていることを、多くの人が知らなかったのではあるまいか。

関連HPに載る「彼女」のプロフィールには、こう書かれている。「特記 発情がきてると、べったりくっついてきます!」

いいじゃないの、お若くて。現在22歳の彼女は、人間なら65歳でなお「春うらら」。元気を、またもらった気がする。

智に働く賢さを No.865

昨年11月14日、東京・秋葉原―茨城・つくばを結ぶ「つくばエキスプレス」(首都圏新都市鉄道)がHPに1枚のリリースを出した。「本日9時43分40秒に南流山駅に到着した列車が、定刻より20秒早くドアを閉じ、発車してしまった」ことを詫びたのだ。ただし、「この件でお客さまからの苦情はなかった」と付け加えて。

この発表にいち早く反応したのは、時間に神経質な日本人、ではなかった。ニューヨーク・ポスト「日本の鉄道会社が、ニューヨークでは決して聞くことがない謝罪を出した」、ニューヨーク・タイムズ「史上最も過剰に反省された20秒ではないか」と。

「ニューヨーク・タイムズ」は週末にも続報を出した中で、2005(平成17)年4月にJR西日本が、前駅で停止位置を誤ったのが原因で生じた1分30秒の遅れを取り戻そうと、規定を超える速度でカーブに進入したため、列車が脱線・転覆し死者107名、負傷者562名を出したあの「福知山線脱線事故」の惨事に触れていた。

日本の鉄道はなぜたった「20秒」のダイヤの乱れにこだわるのか ―― 冒頭の「20秒の早発」発表に関連し、そこまで背景を追った日本のマスコミはなかったはずだ。

他方で日本のマスコミは、2004(同16)年10月の新潟県中越地震で震源地近くを走っていた上越新幹線8両が脱線した事故では、「人的被害が出るほどの大事故にならなかったのは偶然の幸運」と報じる報道が多かった。果たしてそうだったのか?

たしかに、対向列車が走っていなかった運が幸いした。しかし基本的には、早期地震検知警報システムが正しく機能して非常ブレーキが作動したという、地震国日本として当然の対策が効果を発揮した点を、もっと評価してもよかったのではないか。

夏目漱石は小説「草枕」の冒頭で「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ」と書いた。その「情」は、時には大衆社会が押し流されかねない「バイアス(偏り)」とも言える。右方向も左方向もあるバイアスに対して、是は是、非は非と断じることができる、物事の本質を踏まえた冷静な指摘がメディアには求められる。いま日本のマスコミは、それだけの判断力を持っていると、信じられるかどうか。

安倍内閣の支持率が、危険水域に近づいてきた。いわゆる「モリカケ問題」を巡る現下の呆れた状況をみれば、当然の成り行きだろう。ただ、そういう大事な時期だからこそ、私たちも、情に流されず智に働く賢さを持たなければなるまいと、自戒していたい。

幻想 No.866

お笑いタレントで芥川賞作家の又吉直樹氏がテレビで紹介したことも手伝ったのか、宮城教育大学元副学長・菅野仁氏が2008年に書いた「友だち幻想」が、昨年から急に売れ始め、18日現在で25刷、累計18万部6200部のベストセラーになっている。

「♪ いちねんせいになったら/いちねんせいになったら/ともだちひゃくにんできるかな…」という童謡「一年生になったら」の、歌い出しぐらいなら聴き覚えがある方も多かろう。幼稚園の卒園式でよく歌われるこの歌は、「友だちをたくさん作ることはいいことだ」という考えを、当然のように前提にしている。

しかし、現代社会においてそれは本当に正しいのか、と問い直すのが本書だ。

菅野氏が本書を書こうと思ったのは、当時人付き合いが苦手だった小学生の長女が、クラスのみんなと仲良く遊ぶようにと、学校から何度も注意されて帰って来たからだ。 もちろん友だちは大事。多いに越したことがないのかも知れない。しかし、だからといって「友だちづくり」は、無理にも求められるべきものなのか ――。

本音を言えば、友だちとの関係をどこか重苦しく感じるという、矛盾した意識を持ってしまうことは私たち大人にもある。原因は、私たちが、知らず知らずのうちにさまざまな人間関係の幻想にとらわれ、見当外れな方向に気を使いすぎているからだ。

そこで、これまで当たり前と思っていた「人と人とのつながり」の常識を、根本から問い直してみる必要があるのではないか ―― 菅野氏の問い掛けはそこから始まる。

なぜなら、日本の「社会」が大きく変質した。農耕時代の日本人は、地域住民が協力し合って暮らす「村社会」の中で、互いを思いやる作法を大事にしてきた。しかし、多様で異質な生活形態や価値観を持った人々が隣り合って暮らす現代社会では、同質性を前提とする作法は、もはやフィットしないのだと菅野氏は指摘する。

「現代社会では、気の合わない人たちとも『並存』『共在』できることが大切。それには、気に入らない相手とも傷つけ合わない形で時間と空間を共有する作法を身に付けるしかない。自分をすべて受け入れてくれる友だちなんて幻想なんだというどこか醒めた意識、無理に関わらずに『やりすごす』という発想が必要なのだ」(抜粋、要約)

職場や社会に新人を迎えて間もなく1カ月。過度の期待=「幻想」を勝手に抱いて失望するのでなく、時代に相応しい「距離感」を、私たちも学ぶべきなのかも知れない。