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「教授」の足跡 No.842

篠沢秀夫さん。学習院大学教授だったから、そのまま愛称「教授」と呼ばれた。大橋巨泉司会の人気テレビ番組「クイズダービー」(TBS系列)のレギュラー解答者として11年間、いつも温和な笑顔で解答者席に座っていたが、実はネット辞典「Wikipedia(ウィキペディア)」に「反共主義的文化人」とか「三島由紀夫を追悼する憂国忌の発起人」と書き込まれるような激しさを一面で持つ人でもあった。先月26日、84歳で亡くなった。

2001年に大腸がんが発見されたが、手術後の経過は良く仕事に復帰。しかし2008年、筋肉が徐々に麻痺して動けなくなる、英国の理論物理学者スティーヴン・ホーキング氏と同じ難病・筋委縮性側索硬化症を発症。以来、困難極まりない闘病生活を、夫人の献身的看護を得て過ごしながら、翻訳や小説、伝記などを9冊も書き上げていた。

数年前、そんな闘病中の篠沢さんを取材したテレビが、「明日がどうなるか、悩んだりしませんか?」と直球の質問を投げた時、「いえ。今日できることをやるだけですから」と筆談のホワイトボードで答えたシーンを、なぜか覚えている。没後のインタビューでも、夫人は微笑みながら話していた。「明日できることは今日やらなくてもいいんだよ、というのが主人の人生訓というか口癖でしたから」

「明日できることは、今日やらなくてよい」 ―― トルコの格言にもそうあり、狐狸庵山人こと作家・遠藤周作氏が「私の好きな言葉」に挙げている。ただし、「この言葉は本来、怠けろという意味ではなく、今日の仕事をやり終えたなら、その後は愉快に遊べ、愉快に人生を楽しめという意味だ」(エッセイ集「勇気ある言葉」から要約)。

国文学者・佐竹昭広氏の思いも、裏返せば同じ考え方に通じるのではあるまいか。「今日することをやめ、明日に回そうするのを『無精』だと考え恥じる必要はない」(要約)と著書「古語雑談」に書いている。

「無精」には「懈怠(けたい)」と「懶惰(らんだ)」の2つがあり、前者は「今日ノ所作ヲ明日作スコト」、後者は「明日ノ所作ヲ今日作スコト」。後者のように「明日取り組んでも差し支えないことを今日してしまうのは、今日が充実していないからで、共に『無精』なのだから、前者ばかりを恥じる必要はない」と佐竹氏は言うのだ。要は逆転の発想か。

「3割程度の正解率が上品」と語っていた篠沢さんのそれは3割2分7厘だったそうだ。程良い上品さを漂わせながら、でも足跡をはっきりと残して逝かれた方だと思う。

納豆 No.843

食卓で納豆を作る時、諸兄は何回掻き混ぜるだろうか。食通・北大路魯山人は昭和7年、雑誌に寄せた短文の中で、「納豆の拵え方」について以下のように書いている。

「納豆を器に出し、何も加えないまま箸で練り混ぜる。不精せず、手間を惜しまず、硬く練り上げたら醤油を数滴落とし、再び練ることを繰り返す。糸の姿がなくなり、どろどろになった納豆に、辛子や薬味を少量混和する。最初から醤油を入れて練るようなやり方は下手なやり方である」(抜粋・要約) 肝心の、何回練ればよいかについては触れられていないが、「400回」とか「正しくは424回」との説がネットには載る。

そこで玩具メーカー・タカラトミーが平成26年、手でハンドルをぐるぐる回す納豆混ぜ器、名付けて「魯山人納豆鉢」を発売した(現在は製造中止)。「424回掻き混ぜた結果、混ぜない状態に比べてコク成分が倍増」し「納豆メーカー最大手タカノフーズからもお墨付きを得た」とする当時の広告が、ネット上にはまだ残っている。

納豆は日本古来の食品である。ただし、発祥伝説は聖徳太子説、源義家(平安時代後期)説、光厳天皇(鎌倉時代末期)説、加藤清正説、豊臣秀吉説など多数あって定かではないが(筑波大学教授・石塚修著「納豆のはなし」)、いずれも、馬の餌用の大豆を藁(わら)に包み保存していたら自然発酵し、食べてみると美味しかった、といった類いの話で似通うらしい。たしかに馬の体温は、納豆菌が発酵し始める適温だそうだ。

江戸時代の食物事典「本朝食鑑」に「腹中を調(ととの)えて食を進め、毒を解す」とある通り、納豆は健康食品の草分けである。これは納豆菌が、強烈な胃酸に耐え、生きたまま腸まで届くからだ。納豆菌は発酵過程で「ナットウキナーゼ」など多様な栄養分を生成するほか、溶連菌やビブリオ、病原性大腸菌などへの抗菌効果が認められている。

「納豆の日」は語呂合わせで7月10日だし、生産技術の発達で現在では一年中食べられるようになったが、納豆は、大豆の収穫や、自然乾燥した藁が必要である関係から、秋から冬にかけて作られ、「なっと~、なっとなっと~」と夕暮れの町に流れる懐かしい売り声が年配者の耳に残る、本来は冬の季節商品だった。

…… 等々、本号のテーマを「納豆」にしたのは、納豆産地・茨城新聞が「今年も納豆の売れ行きが好調で、消費額は、過去最高だった昨年の推計2184億円を上回りそうだ」と伝える記事が目に止まり、豆知識を拾ってみたくなったからだ。納豆だけに。

エアバッグ No.844

松山市街地で40代男が車に母親を後部座席に乗せたまま暴走させた事件では、2つの疑問を感じた。1つは、警察が50分間も暴走を止められなかったこと。2つめは、暴走車はバンパーや前照灯がほとんど損壊、左前輪もパンクするなど、暴走中の衝撃・振動はかなり激しかったと思われるにもかかわらず、事件後の写真を見る限り、車のエアバッグ装置が作動しておらず、運転者の危険運転を可能にしていたことだ。

…… などと書き始めたのは、たまたま本欄テーマに「エアバッグ」を予定していた矢先、今回の事件が起きてしまったからだとの言い訳を、信じてもらえると助かるが。

そのエアバッグは、ハンドル部分など装着位置に「SRS」と記されている通り、英語で「Supplemental Restraint System」、日本語では「補助拘束装置」となる。「補助装置」と言うからには何を「補助」しているかと言えば、「主拘束装置」たるシートベルトをである。つまりエアバッグは、シートベルトをしていなければ本来の役割を果たさないばかりか、逆に、作動時の激しい衝撃によってケガをする場合もあるシステムなのだ。

そのエアバッグシステムを1960年代に発明したのが、日本人の小堀保三郎氏であることは案外知られていない。衝撃加速度検出装置+弾性防御袋(エアバッグ)+気化ガス発生装置という、基本的には現在と同じ3点セットで、同じ効力を持っていた。しかも、運転席だけでなく助手席、後部席、両側面、ルーフにも装着できるよう設計されていた。

1912(明治45)年に小学校を卒業し大阪へ奉公に出た小堀氏は、いくつかの仕事を経て38歳で重機製造業を起業。大きくした事業を石川島重工業(現IHI)などに譲渡すると1962(昭和37)年、東京で新会社を設立。サンドイッチ自動製造機など独創的なアイディアで多くの特許を得た中にエアバッグもあり、世界14カ国で特許を取得した。

しかし、時代のほうがまだ、小堀氏に追い付けなかった。当時の国内自動車メーカーはエアバッグに関心を持たず、外国メーカーではベンツ社のように興味を示す先もあったが商談に至らないまま、小堀氏は開発費用の捻出に窮し、1975(昭和50)年、妻女と共に自死の道を選んだ。他方、自社研究で取り組んだベンツ社が世界で初めてエアバッグ装着車を売り出したのは、そのわずか5年後の1980年だった。

「力強く己が営み拓くべし 貧しくともよし 正しくあれば」 ―― 死後発見された小堀氏の日記には、そんな言葉も遺されていた。神様は時々、残念ないたずらをなさる。

「心の実」 No.845

TPP(環太平洋連携協定)は今月11日、ダナン(ベトナム)で開かれた米国を除く交渉会議で、11カ国が協定の早期発効に向けて作業を進めることで合意した。当初計画に比べると、12カ国のGDP(国内総生産)の6割強を占める米国が離脱。またカナダも異論を唱えたことで「首脳合意」は見送られ、閣僚レベルでの決着になった。このため正式名称もCPTPP(包括的及び先進的な環太平洋連携協定)へと変わった。

多国間の枠組みではなく2国間協定を推し進めたい米国や、独自の経済圏構想で影響力を拡大したい中国に対し、TPPを早期に発効させ、米中を牽制したい日本。また慎重なカナダは「日程を勘違いした」として首脳間合意の会合に現れないなど、TPPを巡る交渉はまさに「事件とハプニングの連続」だった。

江戸時代の後期、三河田原藩(現愛知県)の家老・渡辺崋山は、天保4(1833)年から約8年間の大飢饉で藩の財政が窮した折り、大阪商人から資金を借りる役目を、病床の自身に代わって真木重郎兵衛定前に託した。

その際、「交渉時にしてはならない心構え」を認(したた)めた「八勿(はちぶつ)の訓」と呼ばれる「交渉事の要諦」は、現代にも通じよう。

一) 面後ノ情ニ常ヲ忘スル勿(なか)レ(交渉相手と面談している時は、感情に流されて平常心を忘れてはならない)

二) 眼前ノ繰廻シニ百年ノ計を忘スル勿レ(目の前のやり繰りに捉われて長期展望を忘れてはならない)

三) 前面ノ功ヲ期シテ後面ノ費を忘スル勿レ(目の前の利益を取ろうとして、後にツケが回ってくることを忘れてはならない)

四) 大功ハ緩ニアリ機会ハ急ニアウリトイフ事ヲ忘スル勿レ(成功は緩やかにやって来るもの。しかし、そのチャンスは突然来ることを忘れてはならない)

五) 面ハ冷ナルヲ欲シ背ハ暖ナルヲ欲スルト云フヲ忘スル勿レ(表情は冷静さを保っても、心の内は暖かくあるべきことを忘れてはならない)

六) 挙動ヲ慎ミ其恒ヲ見ラルル勿レ(立ち振る舞いを慎み、本心を見透かされてはならない)

七) 人ヲ欺カントスル者ハ人ニ欺カル 欺カズトハ即チ己ヲ欺カズトイフ事ヲ忘スル勿レ(人を騙そうとする者は人にも騙される。欺かないとは自分を欺かないことであることを忘れてはならない)

八) 基立チテ物従フ 基ハ心ノ実トイフコトヲ忘スル勿レ(基本がしっかりしていれば、みなそれに従う。基本は心の誠実さにあることを忘れてはならない)

時代がいかに変容しようとも、変えてならないのは「心の実」 = 誠実さだ。