2017年2月のレーダー今週のレーダーへ

ぶらり旅 No.805

さっきまでそこに居たと思ったのにヒョイと姿を消してしまうことがあるから「オヒョイさん」の愛称で親しまれた俳優・藤村俊二さんが25日、亡くなった。

藤村家の先祖は浜松の商人。家康と共に江戸に移り、三井家が経営するあの越後屋の番頭だった。時代が移り昭和9年、俊二氏は、エリートサラリーマンから東京・有楽町で映画館などを経営する興業会社の社長になった父と、九州で著名な港湾荷役会社の社長の娘だった母との間に、6人兄弟の次男坊として生まれた。

子供たち一人一人にお手伝いさんが付く裕福な家庭に育った。だから世事に囚われず、人生を飄々と生きてきた姿も「オヒョイ」さん的だったのかと思ったら、違った。

幼稚園を、遠足と学芸会だけは許されたものの、それ以外は「登園停止」を命じられていたという。おやつの時間に先生の目を盗んで友達のお菓子まで食べてしまい泣かせたり、「登山ごっこ」と称して教室の椅子を積み上げ、嫌がる友だちを登らせた挙句、それが崩れて骨折した友達もいたりと、日頃の腕白が過ぎたからだ。

それでも、「母親に叱られたことは一度もない」(自著「オヒョイのジジ通信」)という。幼稚園を登園停止になった時は「よかったわね。お家でいっぱい遊びなさい」。兄弟喧嘩も止められはせず、見計らった頃に「疲れたでしょ。お三時にしましょうか」。

母親がそうなら、父親も少し変わっていた。高校生になっても奔放だった藤村少年は、夏休みには友達の家や別荘を泊まり歩いたりして、家に帰らなかった。しかしある日、小遣いが尽き、友達数人を連れて家に帰ってみると …… 様子が変だった。父が事業に失敗し、家が他人の手に渡ったまま空き家になっていたのだ。ただ、見覚えのある筆跡の手紙が一通、残されていた。「かくかく云々、ごめん。父」

この話には続きがあり、藤村少年がその時とった行動に驚く。藤村少年は、残されていた家財の中から数本の掛け軸を持ち出すと、道具屋に売って遊興費を捻出したというのだ。後日、転居先で久しぶりに会った父親は、そのことを怒りもせず、むしろ静かに笑いながら言ったそうだ。「お前、なかなか目があるな。高い物から売ったぞ」

平成23年10月から4年間、日本テレビ系列「ぶらり途中下車の旅」の2代目ナレーターとしても、独得で軽妙な語り口から人気を博した「オヒョイさん」。いえいえ、途中下車ではなく思い通りに生き切った82年間の「ぶらり旅」ではなかったか。

「兎の逆立ち」 No.806

It's raining cats and dogs.―― 大型ハリケーンで吹き上げられた犬猫が、空から降ってきたわけではもちろんない。「土砂降りの雨が降っている」という意味の、私たちが学校で英語を習い始めた頃に教えられて驚いた、最も知られる英語の慣用句だ。

慣用句とは「2~3の言葉が結び付くことで、原義とは幾分違う特別の意味を持つようになった習慣的な言い回し」のこと。会話や文章上の定型句として用いられる。

それにしても「cats and dogs」がなぜ「土砂降り」に転化するのか、日本人の感性では分かりにくい。だって、土砂降りの雨が突然降り出したからといって、猫や犬が大慌てで逃げ惑っている光景さえ、一度たりと見たことはないんだもの。

日本にも慣用句は多い。むしろ日本は世界的でも有数な、多様な慣用表現を持つ国かも知れないと思う。かつ、その成り立ちが、「cats and dogs」などに比べると、ずいぶん奥行きの深い表現である点に特徴があるのではないかとも。

そんな日本の慣用表現の中での最高傑作は「兎の逆立ち」ではなかろうか。ご存知なかったなら、どんな意味か、30秒間でお考えいただきたい。………。時間切れである。「兎の逆立ち」 ―― 正解は「耳が痛い」。なるほど耳の長い兎は、逆立ちすると耳が折れて痛かろう。シンプルだけど吹き出しそうになる“考えオチ”のその言い回しを、粋で洒落ていて、かつ理に適っていると、そこまで高く評価するのは筆者だけだろうか。

他に、○戸板に豆=(戸板の上に置いたマメは転がって扱いにくいことから)思うようにならない ○石地蔵に蜂=痛くも痒くもない ○蛙の頬かむり=(蛙の眼は背後にあり、頬かむりすると前が見えないことから)向こうが見えない→目先が利かない ○雪隠の錠前=便所に入っている時、外に誰かが来た気配がしたら咳払いすること ○仏の椀=(仏に供える椀は銅製が多かったことから)「金椀」→「敵(かな)わん」、等々。

白状すると、筆者は以上の慣用的比喩表現の全部を知らなかった。時代と共に廃れていった日本の慣用句 ―― やれまた年配者の郷愁(ノスタルジア)かと嗤われても、「PPAP」などという無意味な言葉が増産され続ける日本の表現文化の行く末に、不安を抱く。

いまの季節に照らせばこんな表現もあった。○梅花は蕾めるに香あり=(梅は蕾のうちから良い香りがするため)優れた人物は、幼い頃から人並み以上の素質が滲み出る。安倍さんやトランプさんも、そんな芳香を放っていらしたんでしょうな、きっと。

デッドポイント No.807

車通勤の筆者は毎朝、郊外の自宅から市中心部の会社に向かう経路上にある少し大きな公園に車を停め、園内を30分ほど歩くことを日課にしている。その時見掛けるのは、まだまだ寒いこの時期でも減らない、園内の周回路を走る老若男女の姿だ。

週1回以上ジョギングやランニングをしている人は550万人、週2回以上でも374万人に上るそうだ(笹川スポーツ財団調査、2014年)。「健康志向」の反映だろうが、大阪樟蔭女子大学の石蔵文信教授(循環器)は「マラソンやハードなランニングは、かえって寿命を縮める恐れもある」と忠告する。東京都監察医務院と日本心臓財団が共同で、運動中に突然死した645例を精査したところ、40歳未満の場合、死因のダントツ1位はランニング。40~50代では2位、60歳以上では3位だったとの報告もある。

「デッドポイント」と呼ばれる現象が、マラソンなどの長距離走にはある。といっても、「突然死」の話とは違う。マラソンなどを「ヨーイ、ドン!」でスタートしてしばらく走ると、呼吸が苦しくなり、身体がきつくなってくる状態を「デッドポイントに入った」と言う。走り始めたものの、心臓や肺などの呼吸器や循環機能は即座に対応できるわけではないため、酸素不足が原因で一時的に陥る不調のことを指す。

長距離走では必ず訪れるそのデッドポイントを、初心者は、苦しいからというのでペースを落としてしまいがちだ。しかし、そこでスピードを緩めたり止まったりしてしまうと、苦しい状態がそのまま続いて、挽回が難しくなる。だから、デッドポイントを自覚しても、そのままのペースを意識して走り続けたほうがよいそうだ。

すると、やがて辛さが和らぎ、身体が軽くなって、楽に走れるようになる。そういう現象を「セカンドウィンド」と呼ぶ。医学的にみると、脳内に「βエンドルフィン」と呼ばれる覚醒作用、鎮痛作用のある快感物質(=脳内麻薬)が出てくることによって、身体は疲れていても精神的には楽に走り続けられるのだという。

そこでベテラン選手はあえてレース前半にデッドポイントを体験し、後半はセカンドウィンドに乗って走るようコントロールする。そのために大事なのがレース前のウォーミングアップ。長距離レース前は体力を温存しておいたほうがよさそうに思うのは未熟者で、むしろ適度に身体を動かし、デッドポイントを早めに乗り越えたほうがよいそうだ。

長い長い人生レース。その走り方の極意も、たぶん同じなのだろう。

花を咲かせる No.808

熊本県玉名市・蓮華院誕生寺では3月5日まで、奈良県大和郡山市・郡山城跡では同9日まで、滋賀県長浜市・慶雲館と大阪市北区・大阪天満宮では同12日まで ―― 著名な「盆梅展」が各地で始まっている。「♪ 梅は咲いたか 桜はまだかいなぁ」という、唄い出しだけは知っている粋な江戸端唄を口遊んでみたくなる。

盆梅の鑑賞時期は1~3月。しかしその養生や手入れは1年を通して行われ、盆梅展が終わると同時に、というより、花が咲き終わる前から、摘花、剪定、芽摘み、葉すかしなど、来年への準備が1年をかけて始まる。「桜切るバカ、梅切らぬバカ」とは、桜は切り口から腐りやすい木だから切ってはならないが、梅は切り口の回復が早いので、樹形を整えるには剪定が欠かせないことを教える古言だ。

昔、テレビの園芸教室で植え替え作業を見た。成長して窮屈になった鉢から少し大きめの鉢への植え替えは3年に一度が標準。古い鉢から取り出した梅の根の、ぎっしり詰まっているけど若々しい様子に、進行役の女性アナウンサーと一緒に「すごい!」と思わず感嘆の声を上げてしまった。根が、力強さとしなやかさを同時に保っているからこそ、栄養を吸い上げ、“小さな巨木”に毎年美しい花を咲かせるのだ。

1年中手抜きを許されない盆梅の丹精は、平凡な喩えだが企業経営にも通じよう。根をどう張らせ、枝葉を伸ばし、風通しの良い環境下で育てていくのか ――。

衛生用品大手「ユニ・チャーム」は2001年2月、創業者・高原慶一朗氏から当時39歳の豪久氏への社長交代を発表した時、株価が4割近くも下落した。「経験の浅い後継に任せて大丈夫か?」と。市場だけでなく社内の社員にも、不安を抱かれた。

豪久社長は、そのとき打ち出した方針を自ら「共振の経営」と名付ける。アイディアや工夫を、現場と経営の間で振り子のように往き来させることによって、現場の知恵を経営に活かし、経営の視点を現場が学ぶ社内環境づくりに挑んだのだ。

豪久氏は自著「ユニ・チャーム 共振の経営」に綴る。「周囲から過度に期待されず、プレッシャーが少なかったからこそ、先代一人で会社を牽引していた『カリスマ経営』から、私が理想とする『共振の経営』への転換を実行できたのではないか」

経営と現場が刺激し合いながら、風通しの良い企業風土を作り上げる。弛まぬ丹精とバランスの良さが、盆梅のように、美しい花をいつまでも咲かせ続けることになる。