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自尊心 No.698

「愁う」 ―― 「秋」という字には「ちぢむ」の意味があって、秋は心がキュンと縮むような気になるから「愁う」なのだそうだ。

「不定愁訴」の医学用語がある通り、秋から冬にかけては気力の低下や倦怠感が襲う「季節性うつ症状」に陥りやすい季節だそうだ。日照時間が短くなると光の刺激が届くことで生成される脳の神経伝達物質セロトニンが減り、思考力が鈍り、気持ちが落ち込むからだ。そのため、セロトニン不足に因る脳の機能低下を補おうとして、炭水化物や甘い物を欲する「過食」や、「過眠」などの症状が現れるのだとか。

とくに日本人は、秋~冬の季節はテンションが落ち込みやすい遺伝体質といわれる。なぜなら、「不安遺伝子」とも呼ばれるセロトニンには、長いL型と短いS型があり、子は親から、そのどちらか1本ずつをもらって生まれてくる。したがって遺伝で受け継ぐセロトニンはLL型、SS型、LS型の3タイプに分かれるが、その中で日本人は、「神経質で慎重。不安や心配を抱きやすい」とされるSS型・SL型が、なんと全体の98%を占めるという。欧米人に比べると5割も多い。

そのことが、良く言えば「謙虚で慎ましい」、悪く言えば「人見知りで心配性」という、日本人の共通する性格を形づくるらしい。米ブラッドリー大学が53カ国を対象に行なった調査では、日本人は「自尊心」が世界で最も低い国民性との結果が出た。

「自尊心が低い」という言われ方には抵抗があるが、自分の気持ちよりも周囲との関係を優先し、自己主張を抑えようとする国民性を「気弱さ」=「自尊心が低い」と言われるなら、その傾向を認めざるを得まい。むしろそれを美徳とさえ思ってもきた。

しかし、日本人を取り巻く環境は、「謙譲の美徳」を優先できた旧世代時代とは、すっかり変わってしまった。終身雇用制度や社会保障制度の社会システムが崩壊し、国民が集団や社会の「揺りかご」から放り出されてしまった。これからは、一人一人が気持ちをポジティブに切り替え、心の中にしっかりした自信=自尊心を抱き、自己主張しながら、自らの進路を切り拓いていかなければならない。

若者たちが最近、時と場所をわきまえずカメラで“自撮り”している光景を見ると、苦々しく思う。ただ、そんな彼らの目立ちたがりの自己主張は、厳しくなった社会を生き抜いていくために必要な、実は訓練(トレーニング)なのかもと思うと、少し気の毒に映る。

「合成の誤謬」 No.699

「合成の誤謬(ごびゅう)」という経済用語がある。「誤謬」とは「一見正しそうに思える誤った選択」と理解してよかろう。よく喩えられるのが「景気後退」と企業の「経費削減」の関係だ。景気が悪化すると、企業は経費削減のため人件費を抑える。収入が伸びなくなれば、勤労者は生活防衛のため支出を控える。すると、日本の場合GDPの6割を占める個人消費が落ち込む。それがまた需要減退→企業の売り上げ減少という「負のスパイラル」を招いて、本来意図していなかった「誤謬」を生じてしまう、という説である。

麻生太郎財務相は先ごろ衆院選の応援演説で「子供を産まないのが問題」と口にし、釈明に追われている。この少子化問題にも「合成の誤謬」の悪循環が絡む。所得が増えないから子供を産まない(産めない)→少子化で内需が増えない→景気が上向かないから給料が上がらない→だから子供を産めない ―― と繰り返されるパターンだ。

経済関連サイトで「インターネットが齎した『合成の誤謬経済』」と題する匿名寄稿を読んだ。曰く、昔は年末年始に小遣いを手に買い物に出かける子供や若者が多かった。切符を買って電車に乗り、車やバイクならガソリン代を使う。途中で喉が渇けばジュースを買い、お腹が空けばマクドナルドでハンバーガーを食べた。しかしいま、ネットで1クリックすれば商品が手に入るようになった結果、それら間接消費はきれいさっぱり省かれ、経済は縮小してしまった。これも一種の「合成の誤謬」ではないか、と。

「誤謬」という点では、政治学者・森川友義氏が著書「若者は、選挙に行かないで四〇〇〇万円も損している!」で触れた指摘にも耳を傾けるべきだと思う。「4000万円」は、経済学者・島澤諭氏が考案した「世代会計」に基づき、各年齢層の生涯における損得勘定を見るもので、それによると70代は生涯で差し引き1500万円得をするのに対し、30代は2500万円の損をし、両者間に4000万円もの差が出るという。

それなのに、である。国政選挙では若者に「自分一人ぐらい投票に行かなくても、結果はどうせ変わらない」と棄権する者が多い。その結果、どうなるか。国会には高齢者世代によって選ばれた議員が多く当選し、当然その後採られる政策は高齢者が歓迎する内容が優先されることになる。つまり、個人の立場では尤もらしく思える若者世代の「合理的棄権」が、結果的に「合成の誤謬」になってしまうのだ ―― と。

たかが1票、されど1票。若者らしく、はっきり意思表示する合理的選択に期待したい。

大は小を兼ねない No.700

「大は小を兼ねる」、つまり大きい物は小さい物の代わりに使うこともできるので、より幅広く役に立つとする古諺は、中国・前漢時代の儒学者・董仲舒の論文集「春秋繁露」中の「夫已有大者 又兼小者 天下能是之 況人乎」(大人=賢者=は小人=愚者=の振る舞いもできる。だから天下で役立つのは賢者だけだ)に由来する。

しかし、「逆必ずしも真ならず」とも言われる。なるほど「大は小を兼ねる」にしても「薪は楊枝にならぬ」とか「杓子は耳かきにならぬ」「長持ちは枕にならぬ」「地曳網で白魚は獲れぬ」などとまぜっ返す向きもあるし、実際、世の中には大きいより小さいほうが良いことだってなくはない。

東京芸術劇場や国立歴史民俗博物館などの設計で知られる建築家・芦原義信氏の自宅書斎は、屋根裏を改造した、わずか2畳ほどの小部屋だそうだ。芦原氏は著書「街並みの美学」で「小さな空間の価値」と題し、綴っている。「手をのばせば眼鏡も煙草も原稿用紙も本も、なんでも必要なものを簡単に取ることができる。この部屋に入ると、不思議と気が落ち着いて仕事がはかどるのである」 芦原氏に限らない。近代建築の巨匠と言われるドイツの建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエも「Less is more」(より少ないことは、より豊かなこと)の言葉を残している。

「『大は小を兼ねる』は間違い」だと、米UCサンディエゴ大学のウリケ・シェーデ教授が、最近の日本式経営に見受けられる問題点を指摘している(10月27日付「日経ビジネス」オンライン)。

「日本庭園づくりや和食、美術、生け花、書道など日本のミニマリズム(最小限主義)が注目されるが、企業経営面では日本は、正反対の性質によって苦しんでいるように思える。例えばプレゼンテーションのページ数、1スライドの文字数、1つの図表に含まれる情報の量、印刷された紙の枚数、何かを実行するための工程数の多さなど、欧米人から見ると日本人は、必要以上に『やり過ぎている』ように思える」

「『少なくする』ことは『簡単になる』ことではない。少なくすればするほど難しくなるのもの。まさに俳句がそうであるように、少なくするというのは集中させることで、その結果、大きな成果を得られるもの。だから『大は小を兼ねない』のだ」(=要約) 

「簡潔の美」を追究してやまない日本人特有の感性を、これからも大切にしたい。

「年暮る」 No.701

「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭しうるはし」(奈良は国の中で一番素晴らしい所。青い垣根のような山々に囲まれた麗しい大和の国)――倭建命が亡くなる前に詠んだ (「古事記」) とされるこの歌を引用しながら、平塚市美術館の草薙奈津子館長は東山魁夷著「自然のなかの喜び」の解説でこう書いた。「日本人に『自然の色は』と尋ねると『青色』と答える人が圧倒的に多いという。東山魁夷の作品が多くの日本人を魅了するのは彼の作品には青系統が多いからかもしれない」

それは事実である。求龍堂刊「東山魁夷全作品集」収録の1260点中、「青」を基調にした作品は470点、ほぼ4割に上る。魁夷はなぜこれほどまで「青」に心を寄せたのか。美術史家・野地耕一郎氏によれば、「青は常にある若さを感じさせる。本質的に日常性から遠ざかり、崇高な精神に深くかかわる色といえる。魁夷にとっても、青は感覚と精神を深いところでつなぐ色だった」(2008年発行「別冊太陽」)からだ。

だから「青の巨匠」とも呼ばれる魁夷の作品の中で、年末のこの季節に思い起こすのは、1968(昭和43)年に60歳で描いた「年暮る」ではなかろうか。文字媒体の本欄が「ネットで画像を」と案内するのは辛いが、検索し、ぜひご覧願いたい。青暗い夕暮れ時、町屋の屋根が連なる京都の町に、雪がしんしんと降っている。構図上部に描かれた大屋根の寺院は、左京区の日蓮本宗の本山・要法寺。

魁夷はこの絵を、川端康成から手紙で「京都は今描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」と勧められ、描いたという。川端の助言は正しかった。旧京都ホテル(河原町御池)屋上から俯瞰したとされるほぼ同じ構図を、現京都オークラホテル9~15階の部屋から見下ろすことができる。しかし。いま眼下に見える風景は、マンションやビルが埋め尽くした、ただありふれた都会の家並み。

だからこそお勧めしたいのだ、ネット画像でよいから東山魁夷の「年暮る」をこの時期にご覧になることを。画集「京洛四季」掲載のこの絵に、魁夷自身が解説を付けている。「去り行く年に対しての心残りと、来る年に対してのささやかな期待。年々を重ねていく凋落の想いと、いま巡り来る新しい年にこもる回生の希い。『行き交う年もまた旅人』の感慨を、私はしみじみ感じた」 諸兄も各々の思いを巡らせてはいかがか。