2014年11月のレーダー今週のレーダーへ

入来氏“再登板”No.694

プロ野球日本一に輝いたソフトバンクの指揮を来季から執る工藤公康新監督が、3軍とは言え投手コーチに、今年DeNAの「用具係」だった入来祐作氏を招聘したという。

入来祐作氏。42歳。PL学園の主戦投手だったが、甲子園の経験はない。亜細亜大学に進み活躍したが、4年生夏の右肩血行不良でプロ入りを断念、本田技研入り。1997年に巨人を逆指名しドラフト1位で入団、2001年にチーム最多13勝、2002年も自己最高の防御率3.05を上げたが、当時巨人の先発投手陣には上原浩治、桑田真澄、高橋尚成、そして工藤と錚々たる顔ぶれが揃っており、入来は5番手に甘んじていた。

このため彼は03年オフの契約更改で、かねて夢見ていたメジャー挑戦を睨みながら、巨人では渡邉恒雄オーナーが嫌っていて認めていなかった「代理人交渉」を申し出た。その結果は……予想外の、日本ハム・井出竜也外野手との交換トレード。

結局05年オフのポスティングでメジャー移籍を目指すも、入札なし。06年にメッツと契約できたが、キャンプで結果を出せずマイナー止まり。07年ブルージェイズに移っても登板機会はなく、日本に戻って入団テストで横浜に入ったが、二軍暮らし。08年は開幕を1軍で迎えたがすぐ2軍落ち。この年に戦力外通告を受け、現役を引退した。215試合に登板し35勝35敗3セーブ、防御率3.77という通算成績だった。

その彼が、しかしさらに辛く厳しい「第2の野球人生」を味わうことになったのは、むしろそれからだったと言うべきかも知れない。今春、缶コーヒー「BOSS」のテレビCMで、彼の姿を久しぶりに見たファンも多かろう。クビを言い渡された日、「野球から離れたくないんです」と球団関係者に仕事を求めて頭を下げるシーンが、CM用の演出でなくそのまま実際の一場面だったことが、今夏発刊の自著「用具係 入来祐作 ~僕には野球しかない」に綴られている。男として、当時の心中は察するに余りある。

「引退し、裏方として働き始め、さまざまな葛藤の渦中で意識するようになったのは、どうすれば今の環境下で笑って生きられるか、そのためには何を捨て、何を求めるべきかということです」「なりふり構わず、はいつくばってでも、心を奮い立たせて生きていくしかないのです」(同書)と入来氏。その苦労と悔しさを分かっているからこそ、工藤新監督は、新人投手育成という大事な役割を、彼に託そうと考えたに違いあるまい。

経済社会でも挫折は避けられない。しかし、諦めなければ“再登板”の道も拓ける。

酉の市No.695

雑閙や 熊手押あふ 酉の市 (正岡子規) ―― 境内にこの句碑がある東京都台東区・浅草の「鷲神社」では、10日午前零時に打たれた一番太鼓の音とともに、「お酉さま」と呼ばれる「酉の市」が始まった。

「酉の市」の起源には諸説があるが、神道では日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征に向かう際、埼玉県久喜市の鷲宮神社で戦勝を願い、また帰路には東京都台東区花畑・大鷲神社で祝勝を報じたとの言い伝えに因んで、日本武尊の命日である11月の酉の日に行われるようになったとされる。開運・商売繁盛を祈願する祭事である。

十二支に基づく11月の「酉の日」は、今年は10日が「一の酉」、22日が「二の酉」。例えば来年のように11月の「酉の日」が3回ある年は「三の酉」も行われるが、そういう年回りは「火事が多い」との俗説があるため、「三の酉」で売られる縁起物の「熊手」には「火の用心」と書かれた紙が貼られる風習が続いている。

そう、「酉の市」と言えば、「おかめ」の面や小判や枡など招福の品々で飾り立てられた「熊手」が付き物。買い求める客が、境内に並ぶ露店に殺到する。「熊手」は、世の中を明るくし、めでたいことを招く「吉兆の鳥」とされる「鷲」の爪を模したもの。福や徳を掻き集め、それを文字通り「鷲づかみ」するという意味がある。

ただ、露店に並ぶ熊手には「値札」が付いていない。だから、買い手と売り手の間でこんなやり取りが交わされることになる。「これ、いくら?」「1万3000円」「もう少し安くならない?」「じゃあ1万2000円」「もう一声!」「しょうがねえなあ。じゃあ1万円!」「よし買った!」といった交渉で値段が決まる。

しかも。「じゃあ、これで」と言って買い手が最後に差し出すお金は1万円ではなく、最初に示された1万3000円。「余分はご祝儀だよ」と言って帰ってくるのが江戸っ子の「粋」とされた。「お客さん、気風がいいねえ。じゃあ商売繁盛を祈って、手締めだ。よーっ、シャシャシャン・シャシャシャン・シャシャシャン・シャン!」 これが「酉の市」の風物詩だった。

その「熊手」に、「300年以上の歴史で今年初めて値札が付いた」と報じる2008年の新聞記事がネットに残っていた。「値切るのが恥ずかしいという客が増えたから」とか。そこで鷲神社に現在も値札が付いているのか訊ねると、「いえ、当神社では付けていません」。なぜか少しホッとした ―― などという話題が載る、今年ももうそんな季節。

むかし 男ありけりNo.696

「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」「冬の華」「駅 (STATION)」「海峡」「居酒屋兆治」「夜叉」「海へ」「あ・うん」「鉄道員(ぽっぽや)」「ホタル」「あなたへ」 ……そのスクリーンには、寡黙で、武骨で、純粋で、愚直で、不器用で、だけど内に優しさを秘めた彼が居た。さらに時代を遡れば「日本侠客伝」「網走番外地」「昭和残侠伝」など任侠シリーズで観た、日本男児の鑑(かがみ)のような男気も、年配世代には忘れられない彼の魅力だった。

作家の丸山健二氏は、1983年発行の写真集「高倉健・独白」に「それが高倉健という男ではないのか」と題する一文を寄せている。

「必要に応じて必要な動きができる男が減ってきている。どうということもないのに大げさに騒ぎ立てる男はうじゃうじゃいる。そんなに動かなくてもいいのに派手に動きまわる男が増えている。そんな男に限って、本当に動かなければならないときに、こそこそと逃げてしまう。彼は必要に応じて必要な動きができる。スクリーンの上だけではなく、私生活でも。それが高倉健ではないのか」 さらに――。

「その日その日をちまちまと、こすっからく、目先の欲に振り回され、弱くてだらしのない男たちが、『普通でいいんだよ』『自然に生きたいのさ』『等身大の生き様がしたい』などと小賢しい言葉の上であぐらをかいている。その中にあって彼は男であり続けたいと願い、役者をしながらもその姿勢を崩そうとしない。それが高倉健ではないのか」

福岡のテレビ局・RKB毎日放送は1984年、作家・檀一雄に縁のある土地を巡るドキュメンタリー番組を制作、その案内役を高倉健に頼んだ。番組ロケ初日、当時学生アルバイトだったADが、健さんを一人でホテルに迎えに行くよう言い付けられた。「不作法をして怒られたらどうしよう…」 ADがびくびくしながら1階で待っていると、エレベータの扉が開き、健さんが、いつものように付き人もなく一人で降りてきた。

どぎまぎしながら立っていたADに歩み寄った健さんは、立ち止まると、「高倉です。よろしくお願いします」。そう言って90度のおじぎをした。慌てたADがごにょごょ言いながら頭を下げ、戻しても、健さんはまだ頭を下げ続けていた(野地秩嘉著「高倉健インタヴューズ」)。そのドキュメント番組のタイトルが「むかし 男ありけり」。

ちなみに、「いつの日か、健さんのような男になりたい」と当時心に誓った学生アルバイトのADは、その後、上場企業の経営者になったという。

ゴーン氏の長期政権No.697

日産自動車のCEOカルロス・ゴーン氏のトップ在任が、もしかすると20年を超す長期政権になるかも知れないと注目されている。

経営危機に陥った日本第2位の自動車メーカー・日産がフランスのルノーと資本提携したのは1999年。当時のルイ・シュヴァイツァー同社会長から経営再建の大役を受けたゴーン氏が、日産の社長兼最高経営責任者に就任してすでに14年になる。

ただ、ゴーン氏が業績を見事に回復させて以降毎年のように話題にされるのは、後継者をどうするかということだ。しかも昨年まで2期連続で業績予想を下方修正せざるを得なかったことから、ゴーン氏の神通力も薄れてきたのではないかとの声もある。

また今年9月、日産副社長アンディ・パーマー氏が退社して英国高級車メーカー、アストン・マーチンのCEOに就いたほか、専務執行役員ヨハン・ダ・ネイシン氏は米国ゼネラル・モーターの高級車キャデラック部門のトップへ、さらに日産・ルノーの広報を統括していたサイモン・スプロール氏も米国テスラ・モーターズ副社長に転身するなど、これまでゴーン氏を支えてきた幹部が、相次ぎ日産を去っている。

2017年までに世界シェア8%、営業利益率8%を目指すとともに、2020年までに「自動運転技術」を導入するとの経営目標を掲げているゴーン氏。しかし、大企業のグローバル化に伴い、カリスマ経営者が君臨する企業が陥りがちな人材難の苦悩が、日産にも表れてきたと指摘する向きもある。

ただゴーン氏自身は、自分がトップの座に長年居られた理由を、こう話している。「それは、社員に示される改革計画が、単に上からの命令で押し付けられたものではなく、現場の意見を拾い上げるという、建設的な方法で練り上げてきたからだ」

「カリスマ経営者」や「コストカッター」など冷徹そうに呼ばれることが多いゴーン氏。もちろん厳しさは事実だろう。しかし、彼がよく部下に言うのは「君はどう思う?」という問い掛けだそうだ。そう聞かれた部下からは当然何らかの反応があり、そこから対話が生まれる。専制的な上意下達を避け、コミュニケーションを常に心掛けてこそ、社員の意識をまとめ、団結して難局を乗り越えるパワーが醸成される。

ゴーン氏の長期政権を支えてきた経営手法には、ワンマン社長が君臨する日本企業とは異質の、むしろ本来の「家族的経営」の基本が、根っこにあるのかも知れない。