2014年5月のレーダー今週のレーダーへ

「ありのままで~」 No.670

ディズニーのアニメ映画「アナと雪の女王」がヒットしている。日本全国約500スクリーンで上映され、3月14日の公開から4月29日までに観客動員1030万人、興行収入128億円を突破。ウォルト・ディズニー・ジャパンとしてこれまでの興行収入トップ「アルマゲドン」(1998年)の135億円を抜くのは確実とみられている。

雪と氷の魔力を持つ女王・エルサと、彼女を救うため冒険の旅に出る妹・アナを主人公に「世界を救う真実の愛を描く」とPRするストーリーが、さて万人の共感を得られるほど秀作と言ってよいかどうかは、ネット上での意見は分かれる。

にもかかわらずこの映画が人々を映画館に引き寄せる理由の1つは、主題歌 「Let It Go」をはじめ全9曲の劇中歌がそれぞれ良いだけでなく、歌詞を字幕でスクリーンに映すバージョンを用意したことで、映画を見ながら観客も一緒に声を出して歌うことができるという趣向の面白さにもあるといえよう。歌いながら観終えて「楽しかった」「気持ちよかった」と言って帰る、子供だけでなく大人も少なくない。

さらに日本では、日本語吹替版でエルサ役を務めた女優・松たか子が日本語で歌う劇中歌「Let It Go ~ありのままで~」の評判がすこぶる良い。CDデビューはしていても歌手が本職ではない彼女の、むしろだからこそ衒(てら)いのない、素直で、懸命で、堂々とした歌いっぷりが、国内だけでなく海外からも高い評価を得ている。

また、松たか子版「Let It Go ~ありのままで~」への高評価は、映画本編と共に劇中歌の日本語訳をも担当した翻訳家・高橋知伽江さんの功績を見逃せない。

とくにサビ部分「♪Let It Go~(これでいいの)」を「♪ありの~ままの~」と歌わせたのは名訳だった。「表情がアップになる場面だから、口の動きが日本語のそれと不自然にならないよう、言葉をずいぶん探して試行錯誤した」と高橋さん。裏方作業でありながら、しかし決して妥協したり手を抜いたりはしない日本人ならでは気配りの細やかさが、歌のみならず映画全体の商品価値を一層高める効果をもたらしたといえよう。

▽感動的なストーリー ▽楽しさを倍加させる観客参加型の演出 ▽目立たない部分での細やかな配慮 ――「ヒットする条件」の集約をこの映画1本に見る気がする。できれば映画館に足を運び、一緒に歌ってはいかがかだろうか。それに、会社勤めの身では日頃「ありのままで」はいられないお父さんたちでもあることだし。

拍手 No.671

コンサートで、歌手が1曲歌い終わるたびに盛大な拍手が湧き起る。芝居で、幕がまだ下り切らない内に満場が拍手を送る。スポーツ観戦でも、ひいきチームが勝てば拍手万歳して勝利を称える ―― 私たちは日々いろんな場面で拍手をする。しかし――。

「水戸黄門」などの歴史小説家・村上元三氏は生前、明治初期を舞台にしたラジオドラマの脚本で主人公が劇中劇の役者に拍手する場面を書いたところ、音楽監修の長唄の老三味線弾きから「この時代は芝居を観ても拍手はしなかった」と指摘され、やめたと後に書いている。「半七捕物帖」の著者・岡本綺堂も、明治12年に8歳で歌舞伎を見た際、「掛け声は聞いたが、拍手をする人はなかった」と随筆に綴っている。

つまり、日本には「拍手する」という習慣が実はなかった。神社や神棚に向かいパチンパチンと“拍手”を打ったり、天皇に物を献上する場合に手を8回叩く「八開手」の作法は神職の拝礼法として、現在も残っている。しかしかつての日本人は、歌舞伎や芝居を観ても、拍手などしなかった。現在のような「拍手の文化」が日本に入ってきて広まったのは明治維新後、欧米人が観劇後などにそうするのを見て倣ったからだ。

ところが、その日本人が最近、あらゆる場所・場面で拍手をする。「能は、終わった後の余韻まで楽しむ芸能。だから本来、拍手は無用」なのだが、「観客がせっかく感動を表現して手を叩くのを止めるのは不粋なので、拍手を慎むよう注意まではしないことにした」と名古屋能楽堂の担当者。拍手が、日本古来の文化まで変えつつある。

しかし舞踏評論家・芳賀直子さんが、「最近の日本人の観客の大げさな反応は、少しおかしい」と著書「拍手しすぎる日本人」に書いている。

「最近目立つのは、『感動したい』ために舞台に通う人が増えていること。そういう気持ちで劇場へ向かうのを悪いとは言いません。しかし、見る前から『感動できるはず』と信じて出掛けることによって、目にも心にもフィルターを掛けることには賛成しかねます」「拍手やブーイング、途中退席は、観客が出演者に贈ることができる唯一のコミュニケーション手段です。本当はそれほど感動していないのに『感動した!』とばかりに大きな拍手をするのは、偽りのコミュニケーションです」(以上要約)

どうやら「感動したい症候群」が日本に広がっている。毎日の生活への不満のハケ口がそういう形で表れる社会現象なら、あちこちから聞こえる拍手が、虚ろに響く。

「蜜の味」 No.672

中国では「幸災楽禍(こうさいらくか)」、英語圏ではドイツ語由来の「Scharden freude(シャーデン フロイデ)」(影の喜び)だそうだ。日本語でその意味は「他人の不幸は蜜の味」。残念ながら人間には、他人の不運を内心喜んでしまう嫌味な心理が、古今東西を問わずにあるということだろう。

そんな「他人の不幸」の一つに「離婚」がある。とくに最近増えているのが「熟年離婚」。厚労省統計によると、2010(平成22)年の50歳以上の夫婦の離婚件数は6万2235件。40年前の1970(昭和45)年の11倍強に上る。「実に嘆かわしい」と、なぜかお父さんたちはとくに、苦々しく思う。しかし――。こんな話がある。

昨年、テレビ朝日系列の深夜番組「探偵! ナイトスクープ」に、4人姉弟の末っ子という18歳のA君が手紙を寄越した。内容は、「僕は物心ついてから一度も、父が母に喋るのを見たことがありません。父は僕たち子供には普通に喋るし、母も父に喋ります。しかし父は、母には一言も喋ろうとしないのです。父は59歳。このままでは熟年離婚にもなりかねません。なぜ父が母に喋らないのか、理由を解明してください」 番組でA君宅に隠しカメラを仕掛けた。A君の言う通りだった。お父さんはお母さんが何を話しかけても「………」。喋ることを、頑なに拒否していた。実は、25歳になる長女でさえ、父が母に喋るのを聞いた記憶がないという。つまりこの家のお父さんは、少なくとも23年間、妻に一言も喋り掛けていなかったのだ。なぜ?

橋渡し役になったお笑い芸人が家を訪ね、お父さんと二人だけになって、その理由を質した。すると、最初は口渋っていたお父さんが、やがてボソボソと話し始めた。

「原因といわれると…しょうもないことですけど…子供が生まれると、家内が子供中心の生活になって…私のことはほったらかしになって……。若かったせいもあって、拗ねたみたいな感じになって……。それからは、なんか引っ込みがつかなくなって…」

つまりこの父さんは、本当は大好きな妻が、子育てのため自分をかまってくれなくなったことにヤキモチを焼き、23年間も、ただ拗ねていただけのことなのだ。

その後、昔デートした奈良公園に連れ出されたお父さんは、お母さんに「これからは…話をしていきますので…よろしくお願いします」と頭を下げた。その様子を離れた場所から窺っていた子供たちは、「喋った!」と大笑いしながら、しかし、泣いていた。 「他人の“幸せ”」は、やはりもっともっと甘い「蜜の味」だと知って、安心する。

ゆっくりと努力しながら No.673

過労死や過労による自殺をなくすために国が効果的な防止対策を講じることを定めた「過労死等防止対策推進法案」が5月27日、衆院本会議で全会一致で可決された。今後の審議が順調に進めば、今国会中に成立する見通しだ。

過労死とは「過度な労働負担が誘因となって、高血圧や動脈硬化などの基礎疾患が悪化し、脳血管疾患や虚血性心疾患、急性心不全などを発症して永久的労働不能または死に至った状態」というのが厚労省の定義。その場合「過度な労働負担」と判断される目安の「過労死ライン」は月80時間の時間外労働、つまり1カ月の労働日を20日として1日平均4時間の残業が続く状態を指す。

厚労省の2013年調査では、正社員の年間労働時間は平均2018時間。週60時間以上働く人が30代男性を中心に474万人に上る。そうした長時間労働によって脳や心臓疾患で労災認定を受けた死亡者=過労死は同年で123人。ほかに鬱など精神疾患で労災認定を受けた自殺者(未遂含む)=過労自殺は93人を数える。遺族が泣き寝入りして労災申請に至らないケースも多いため、数字はあくまで「氷山の一角」とみられる。

イソップ寓話「アリとキリギリス」をご存知だろう。夏に遊び呆けていたキリギリスを横目に働き続けたアリが、蓄えた食糧で冬をゆったり過ごしていると、備えを怠ったため飢えと寒さで死にそうになったキリギリスが助けを求めて来る。心優しいアリは、食糧を分けてキリギリスを助ける……という美談のストーリーは、実は明治以降、教科書にも取り上げられる中で改変された「日本限定版」で、オリジナルとはかなり違う。世界各国に広く伝わる結末では、餓死したキリギリスを、アリが食べて終わる。

その「アリとキリギリス」に、最近はこんなパロディ版が広まっているそうだ。冬になってキリギリスがアリの家を訪ねると、返事がない。不審に思ったキリギリスが戸をこじ開け家に入ってみると、暑い夏の間一生懸命に働いたアリが、過労死していた ――。さらにリアリティが増したようで笑えないところが悲しい。

宗教評論家・ひろさちや氏が著書に書いている。「『精進』とは『努力』の意味である。しかし仏教の根本精神は(極端に偏らない)『中道』にある。だから、努力のし過ぎは『精進』ではない。『精進』は、ゆったりした努力であるべきだ」 過労死するほどの努力は本来の努力ではない ―― そう理解し意識しながら仕事に向き合いたい。