2014年3月のレーダー今週のレーダーへ

「サラ川」雑感 No.662

過日発表された第一生命保険主催「サラリーマン川柳コンクール」入選作100句を見て、応募者が取り上げるテーマが、昔に比べると変化してきたことに気付いた。

▽「失敗は 成功じゃなく クビのもと」(企業戦士V) ▽「やられたら やり返せるのは ドラマだけ」(夢追人)など、「サラ川」の愛称通りサラリーマン稼業の悲哀を詠んだ句が、今年も22句と最も多いには多かった。しかし一方で目立ったのが、いわば“恐妻川柳”。▽「上司など 妻に比べりゃ まだあまちゃん」(紙風船) ▽「妻たちの 女子会ランチ 見てじぇじぇじぇ」(節約ランチ)など、今回は15句を数えた。

ちなみに23年前(第4回)の入選句で100句中49句と圧倒的多数を占めたのは、▽「運動会 抜くなその子は 課長の子」(ピーマン) ▽「座右の銘 “おれは知らない 聞いてない”」(でかまるこ)など、文字通りの“サラリーマン哀歌”。他方、▽「単身の 終わりを告げたら 妻あわて」(根無草) ▽「過労死は ニュースだけだと 妻がいい」(ナス)など連れ合いへの不満を口にした句は7句で、今年の半分以下だった。

会社や上司、部下など外向きの嘆きが減り、女房への内向きのボヤキが増えているという主題の変化は、サラリーマンの生活環境に余裕が出てきた表れか、それとも、一向に望む方向に進まない社会への失望や諦めがむしろ定着してしまったからなのか。

そんな中で、男目線かも知れないが2カ月ほど前、ある「理想的な夫婦関係」の姿を見た。「東北楽天ゴールデンイーグルスの日本一!! おめでとうございます!! 選手の皆さんの全力プレー、本当に感動的で素晴らしい瞬間をたくさん見せて頂きました。一緒に応援する日々が楽しくて仕方なかったです! 選手の皆さん、球団の皆さん、本当にお疲れ様でした!!」 自身のブログにそう書き込んでいたのは、大リーグ「ヤンキース」入りを果たした田中将大投手の夫人・里田まいさんだった。

彼女は、夫が立役者だったからこそあえて一歩引いた立ち位置で、楽天優勝の喜びを表した。若いのに、その「距離感覚」が素晴らしい。夫の大リーグ移籍という快挙を「無事就職先が決まって本当に良かったです」と表現した「庶民感覚」も嬉しい。

男から見ればそんな「理想の女房」像を、しかし、各々の伴侶に求める愚挙はやめておいたほうがよいと思う。「あらそう。ならばあなたも、7年間で161億円稼いできてよ」と、グウの音も出ない満塁逆転本塁打を食らってヘコむのは目に見えているから。

壇蜜 No.663

あの壇蜜さんが主演映画「甘い鞭」での演技を評価され、第37回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。表彰式での彼女のあいさつを一字一句違わずに文章化すると、こうだ。「賞というものはどんなに自分が切望していても、必ずしも取れるものではないものの一つだと思っています。そういうものを手に入れた時に最初に思うことは、光栄だと思う気持ち、喜ばしいと思う気持ち、驕らずに粛々とやろうという気持ちです。支えてくださった方々に襟を正して心から感謝いたします。ありがとうございます」

バラエティ番組の「ヒナ檀」に並んでいる時、彼女は、誰かの話に割り込んで目立とうとするような振る舞いは決してしない。しかし進行役から「どう思います?」と振られると、やはり、そのまま文章になるような完璧なコメントを返す。浮かんだ考えを、頭の中で一旦整理したうえで口にしているのだろう。とても聡明な女性だと思う。

昨年5月のTBS系ドキュメント番組「情熱大陸」。グラビア撮影の現場でカメラマンから「明るく幸せな感じでやってもらって大丈夫ですから」と言われた時の、彼女の切り返しがすごかった。ニコリともせず、「幸せって、何ですか?」。「アハハハ!」と周囲のスタッフが軽薄に笑い、カメラマンも「幸せって…何でしょうか。……じゃ、行きましょうか」とスルーしようとしたのを彼女は許さず、「で、どんな感じで?」。「…だから、幸せな感じ…」と言葉を濁したカメラマンに、「嫌です、それは」。彼女は「嫌なことでも、自我のスイッチを切って、相手の欲求に沿う」ことを旨としているという。そんな彼女にも、たまにはスイッチを切り忘れることがあるようだ。

選ぶのに迷うほど「壇蜜語録」は多い。「いまの人たちってみんな、自分がどう思われているかが気になる“敏感肌”の時代ですよね。だから、私のような“程良く不幸そう”な存在がいいのではないでしょうか。絶世の美人でもない、学歴もない、(教員免許や調理師免許、着物の着付け、遺体の修復など)資格を持っているのに、活かせていない。この、程良く不幸な感じに安心してもらえるのかも知れません」

地元のスーパー西友で食品だけでなく洋服や履物も買う彼女の、飾り気のない部屋には、年末に配られるような普通の会社のカレンダーが無造作に掛かっているそうだ。

自身を正しく評価し、立ち位置をわきまえることの大事さを、彼女の生き方は教えているのではあるまいか。私たちは、見習うべき人を、色眼鏡で選んではなるまい。

「幸福三説」 No.664

思いがけない悲運・不運に遭った時、美空ひばりのあの歌は、胸に染み入る。 ♪ 雨 潸潸と この身に落ちて/わずかばかりの 運の悪さを 恨んだりして/人は哀しい 哀しいものですね……(小椋桂作詞・作曲「愛燦燦」)

運が良かった、悪かったと、時に私たちは運命に翻弄されるが、一方では、「運は自ら呼び込むもの」という考え方もある。著書「努力論」で「幸福三説」を唱えたのは明治・大正・昭和と目まぐるしく移り行く時代を駆け抜けた文豪・幸田露伴。「幸福三説」には、幸運を呼び込むための秘訣が込められている。

第一は「惜福」。自分に与えられた幸福を、取り尽くさない、使い果たしてしまわないという心掛け。もし大きな幸運が訪れたとしても、腹八分で収め、残りの二分は天に預けるつもりで使い尽くしてしまわないようにすること。露伴は「惜福」の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うと論じる。

第二は「分福」。幸福は人に分け与えるべきもの。自分が独り占めするような幸福などあり得ない。周囲を幸福にすることが、いずれ己を幸福に導くと説く。「情けは人のためならず」とか「恩送り」という考え方に通じる。

第三は「植福」。文字通り幸福を「植えて増やす」ということ。これは、自分が将来幸せになるために、いまから幸運の苗を植えようという考え方にとどまらない。たとえば老人が山に木を植えても、木が立派に成長した姿を見られるわけではない。それでも老人は後世の人々のためを想い、木を植える。「植福」とはこの老人の行為そのものを意味する。 露伴がこの「努力論」を表したのは日露戦争後の明治末期。日本は不景気に陥り、失業、貧困、自殺と国民全体に閉塞感が漂っていた中、露伴は未来の幸福への希望を失わないための心掛けとして「幸福三説」を説いた。

個人主義が進み、さまざまな価値観が混在する現代。もし自分に幸運が舞い込んだ時、舞い上がり有頂天になることなく「惜福」できるだろうか。「分福」して幸運を他に“おすそ分け”できるだろうか。次世代のために「植福」できるだろうか。

名曲「愛燦燦」は、最終節をこう結ぶ。♪ ああ 未来達は 人待ち顔して 微笑む/人生って 嬉しいものですね ―― できれば人生を、そう謳い上げて終わりたい。

「景色」 No.665

先日急逝した女子レスリング・吉田沙保里選手の父・栄勝さんは、吉田選手がロンドン五輪で三連覇し金メダルを取った際、娘に肩車されてマットを一周した時の喜びの感想を、当時こう表現していた。「沙保里の逞しい肩に乗せられて見た景色は、一生忘れないだろう」 葬儀の祭壇に飾られた遺影は、その時の笑顔の栄勝さんだった。

同じロンドン五輪の男子体操で総合優勝し金メダルを手にした内村航平選手も、インタビューで「信じられない。世界選手権の表彰台から見た景色と、いまオリンピックの表彰台から見た景色はまったく違っていた」と語り、また米大リーグ・ヤンキースへ移籍した田中将大投手も、キャンプで打撃投手として初めてマウンドに立った際の感想を「見える景色が、いままでとは全然違う」と話した。

誰が最初に言い始めたのか調べてみたけど分からなかったが、ともあれ最近、多くの人が、さまざまな場面で「景色」という言葉をよく使う。新語・造語ではない「流行り語」なのだろうか。

安倍首相も去年秋、経済関係の会合にメッセージを寄せた中で、「私どもが掲げた『三本の矢』の経済政策によって、日本経済の景色は一変しました」と、やはり「景色」を口にした。ゴーストライターによる作文か否かは別にして。

それぞれ言わんとする意味は分かる。ただ、「景色」というのは一般に、頂点に立った者だからこそ口にできる言葉。そのせいか、「景色」という喩え方が、どこか自画自賛的表現に聞こえるのは、筆者のひがみ根性のせいだろうか。

政治評論家・板垣英憲氏が著書の中で、孫正義・ソフトバンク社長の「景色」観に触れている。「当たり前だが、山頂からの景色というのは山を登っている時には何も見えない。頂上に登ってみて初めて見えるものだ。しかし孫正義は、山頂からの景色を“登る前”に想像することこそが『ビジョンを持つ』ということだと言う」「彼は、事業家としてどんなビジネスを生涯の仕事にすべきかを探っていた頃、1つの事業・ビジネスモデルについて、1m以上にもなる資料を集め、調べ抜くことを、40もの事業・ビジネスモデルに対して行なったうえで、『これだ』という確信を得て始めていたのである」(「孫の二乗の法則 ―― 孫正義の成功哲学」)

首相に再就任して1年3カ月そこそこ。山登りに喩えるならまだ3合目程度の安倍さんが、俯瞰的「景色」を口にするのは早過ぎると思う。>