2014年2月のレーダー今週のレーダーへ

割烹No.658

「少し教えていただきたいことがあって…」と電話したら、「小保方さん関連の話かな?」と先を読んで返されてしまった。創業74年の割烹着メーカー「イトヒコ」(名古屋、稲熊宏章社長)には最近「マスコミ数社から取材があった」そうで、「まだ注文が増えているわけではないが、割烹着がこうして注目されるのは嬉しい」という。

万能細胞の新しい作り方を発見した小保方晴子さんだけではない。NHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」では、女優・杏さんが演じる主人公・め以子も割烹着姿が多いし、先日亡くなった声優・永井一郎さんが磯野波平を演じたアニメ「サザエさん」のお母さん・フネさんも、ご存知の通り割烹着をよく着ている。旧世代の郷愁かも知れないが、割烹着が見直されるきっかけになっているなら、それはそれで喜ばしい話だろう。

割烹着は、1882(明治15)年に日本最初の料理教室・赤堀割烹教場(現赤堀料理学園)の創始者・赤堀峯吉が考案した。当時の教場に通うのは上流階級の夫人・子女。外出する際は高価な着物を着ていた。そこで着物の袖や裾を汚さず、かつ動きやすいようにと、峯吉が1902(明治35)年に考えたとされる。その便利さが認められて一般に広まり、昭和には“銃後”を守る大日本国防婦人会の「ユニホーム」にもなった。

では、「割烹」とはそもそもどういう意味なのか? 中国の思想家・孟子の言葉として「伊尹は割烹を以て湯に要む」(伊尹という賢者が、料理の名手という触れ込みで殷の王・湯に取り入った)との記述が残る。つまり「割烹=料理」の意味は昔のままで、「割」は食材を切ったり、割いたり、削いだり、毟ったり、剥がしたりすること、「烹」はフタをした鍋を火にかけて煮たり、茹でたりすることだ。

そして日本料理では「割主烹従(かっしゅほうじゅう)」が、現在でも献立の基本とされる。素材を、加工せずに切っただけで生のまま食べるのがあくまで「主」であって、煮たり焼いたりするのは「従」である、という考え方。したがって日本料理で献立を考える際は、まずその日の“主役”にする“刺身”を何にするかを決め、そのメイン料理に相応しい煮物や焼き物、吸い物を考えることが本来の在り方になる。

「同じ刺身でも名人が切ると味が違う。大根でさえ立派な刺身になる」と東京の名店「虎の門 青柳」主人の小山裕之氏。食べたことはなくても納得できそうな奥深い話だ。

小保方さんの「割烹着」は、温故知新―― いろんなことを教えてくれたようだ。

下駄箱No.659

唐突だが、「下駄箱」は、日本ではかつて「バレンタインデー」と縁が深いアイテムだった。最近はめっきり少なくなったようだけど内気な少女が、好きな男子に恋心を伝えるため、手紙を添えたチョコレートを、ドキドキしながら学校の彼の下駄箱の中にそっと入れたりした。下駄箱は、そんな小さな恋の中継点になっていたわけだ。

その下駄箱を、廃止する学校が増えつつあると、地元のテレビニュースが伝えていた。所管の教育委員会に電話して聞くと、「下駄箱の設置は各校の裁量によるので状況を把握していない」が「廃止する学校も出てきたらしいことは承知している」とか。その理由をあまり言いたくなさそうだったので、「もしかすると、下駄箱にいたずらを仕掛けるイジメ対策?」と水を向けたら、口ごもったけど否定はしなかった。

ところが神戸市では、むしろ下駄箱がない小中学校のほうが多い。2002年調査では全255校中245校、つまり全体の96%の小中校までが土足制だった。「こんな所は全国で他にない」と某上履きシューズメーカーもネットに書いている。

「神戸は、幕末の開港で外国人居留地が設けられ、モダンな西洋文化がいち早く浸透した。土足制の学校が多いのはそんな土地柄と関係が深いのではないか」と神戸女子短大の山口芳弘教授。なるほど1920(大正9)年に全国で最も早く洋風の鉄筋校舎が建てられたのは神戸。モダンな洋風校舎に下駄箱は似合わなかったからかも知れない。

ただその神戸でも、最近は児童・生徒数の減少―学校の統廃合に伴い校舎を建て直すのを機会に、「上履き制に切り換え、下駄箱を置く学校が増えつつある」と神戸市教育委員会。一方で、校舎を建て替えた後もあえて土足制を続け、下駄箱を置かない学校があるのは、やはり「イジメ」問題が頭の片隅にあるからだろうか。

ともあれ、そんな下駄箱が日本人の生活に登場したのは江戸時代。一般家庭にも普及し始めたのは明治以降とその歴史は意外に浅い。また同じ頃、土足のまま座敷に上がろうとして咎められて困惑する外国人のために、仕立て屋の徳野利三郎が、靴の上から履く“新式草履”を発明した。それが現在の「スリッパ」の原型になったという。

「人の心に土足で踏み込むな」は、そうした「下駄箱文化」から生まれた日本特有の表現に違いあるまい。学校という教育の場から下駄箱がなくなると、日本人の自己規制の慎ましやかさまで薄らいでしまわないか …… とは心配のし過ぎだろうか。

自分を変えたいNo.660

米国スタンフォード大学ケリー・マクゴニガル教授(心理学)著の自己啓発書「スタンフォードの自分を変える教室」(神崎朗子訳)には「この章を読まないで」と題した一章がある。同章では、テキサス州トリニティ大学のダニエル・ウェグナー教授(当時)が学生を対象に行なったある心理学実験について触れられている。

ウェグナー教授が、学生に言った。「これから5分間、シロクマのことを考えないでください」 そう、他の何を考えてもよいけれど、シロクマのことだけは考えるなと教授は学生たちに指示したのだ。言われた学生たちは、ずいぶん困ったらしい。「シロクマ以外のことを考えなきゃと思い、いろんなことを考えようとするんだけど、気が付くとシロクマのことばかり浮かんできて、頭から離れない」と女子学生。

実は「シロクマ」でなくても、イヌでもネコでもよい。何かについて考えないようにすればするほど、考えないようにしようとは思っていなかった時より、そのことばかりを考えてしまう。ウェグナー教授はそれを「皮肉なリバウンド効果」と呼ぶ。被験者が疲れていたり、気が散っていたりする場合はなおさらその傾向が強まるそうだ。

「リバウンド」という言葉に敏感な読者も多かろう。ダイエットに挑戦しても、なかなか成功しないことが多いからだ。マクゴニガル教授は言う。「ダイエット中の人が食べ物のことを考えないようにしていると、食べ物に対する自制心が最も弱くなってしまう。思考や行動をうまくコントロールできないと分かると、私たちは抑圧が足りなかったせいだと勘違いし、抑圧には効果がないのだとは考えないからだ。その結果ますます厳しく思考を抑圧し、さらにひどいリバウンドを経験することになる」

ダイエットに限らず「皮肉なリバウンド効果」のジレンマから抜け出すためには「あきらめることだ」とマクゴニガル教授と指摘する。「衝動というものは、こちらがそれに負けようと負けまいと、いずれは去っていくもの。だから、強い衝動を感じた時は、頭の中で大きな波を思い浮かべることだ。どんな誘惑であれ、欲求の波を乗り越えることができれば、誘惑に負けずにやり過ごすことができます」

本書を借りようとネットで横断検索して驚いた。同書を蔵書に有する愛知県内116図書館中の8割で「現在貸出中」。2012年10月初版だが「先週また増刷され第21刷を数える」(大和書房)とか。「自分を変えたい」と思っている現代人の、いかに多いことか。

スマイルNo.661

ベルトコンベアで機械化され、ひたすら生産効率アップを追い求められる工場の中で、人間がまるで一歯車に過ぎないかのように扱われる資本主義社会を皮肉って描いた米国映画「モダン・タイムス」(1938年製作)。監督・脚本、そしてもちろん主演は「世界の喜劇王」と称された名優チャーリー・チャップリンである。

チャップリン演じる貧乏な工員が、天涯孤独の少女と知り合い、やがて愛し合い、自由な生き方を求めて二人で旅立ってゆくラストシーンに流れる美しい劇中曲も、チャップリンの作曲。そのメロディに18年後、歌詞が付けられ、ナット・キング・コールが歌って大ヒットした。♪微笑んで/たとえ君の心が痛んでも/微笑んで/たとえ破れても/空に雲が立ち込めても/君ならきっと切り抜けられる/恐れることも 悲しいことも乗り越えられる/微笑むなら…。曲の題名は「スマイル」。

ソチ五輪フィギュアスケート女子で、結局6位に終わった浅田真央が、この曲「スマイル」を、もしかするとこんなドラマチックな展開になるかも知れないと考えてエキシビジョン使用曲に選び準備していたわけではもちろんあるまい。しかし、最後に滑り終えた彼女の“笑顔(スマイル)”は、とても美しかった。ショートプログラムで「まさかの16位」にとどまってしまったショックのどん底から、フリー部門では自分の気力を立て直し、自他ともに認める最高の演技を披露して、文字通りドラマのように感動的な結末を私たちに見せてくれた彼女のがんばりに、心から敬意と称賛を送りたい。

浅田真央だけではない。戦前は多くの関係者が「メダル間違いなし」と推していたスキーの女子ジャンパー・高梨沙羅。それが結局4位にとどまってしまった試合直後の彼女の、テレビで初めて見た気がするこわばった表情がとても心配だった。しかし、すでに帰国した彼女は、山形県蔵王で開催中の国体冬季大会スキー競技会で、競技開始前の“テストジャンパー”として、9人中で最高の86.5mを飛んだそうだ。落ち込まず、立ち直ってくれて、嬉しい限りではないか。

ジャンプ競技の葛西紀明は、7度目の五輪出場で今回やっと個人=銀、団体=銅メダルを手にした。それでもまだ満足せず、「4年後にはぜひ金を」と公言している。

「もうダメだ」とつい思ってしまう諦めが、決して「まだまだダメじゃない」ことを今回、彼女ら、彼らが教えてくれた。私たちも、言い訳を、軽々しく口できなくなった。