2013年8月のレーダー今週のレーダーへ

倍返しNo.633

右肩上がりで、好調である。と言っても、売り上げや給料の話でない。先月から始まったTBS系列「日曜劇場」のドラマ「半沢直樹」の視聴率だ。初回19.4%、第2回21.8%。サッカー男子・日韓戦の生中継と重なった先週の第3回も22.9%と上向いた。

舞台は架空の大手銀行。出世のため融資実績を上げることに躍起の支店長の命令で、取引先に5億円を融資した途端、貸付先が倒産。その責任を一人で背負わされそうになった主人公の融資課長・半沢が、さまざまな不条理や理不尽に敢然と立ち向かっていく姿を描く。原作は直木賞作家・池井戸潤の小説「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」。銀行員だったこともある原作者の経験が活かされている。

銀行内部を舞台にしていて、テーマはやや重め。にもかかわらず同時期から始まった他のテレビドラマをリードして支持を得ているのは、強力な権力組織に挑む主人公への、同世代視聴者層によるサイレント・マジョリティ的共感が背景にあるのかも知れない。「クソ上司め、覚えていやがれ!」という宣伝コピーもパンチが効いているし。

……などというビミョーな話題の取り上げ方は早々にとどめるとして、ともあれドラマで半沢が口にする「やられたら、倍返し!」の決めゼリフが流行語になりつつある。

「バレンタインにチョコレートをくれた女性への、ホワイトデーのお返しは3倍返し」とか「ご祝儀をもらったら倍返し。不祝儀なら半返し」など、世間には根拠が曖昧な“お返しルール”もあるが、他方、法律で明確に定められた「倍返し」もある。

たとえば「契約解除に伴う手付(金)の倍返し」。民法第557条には「買主が売主に手付を交付したときは、当事者の一方が契約の履行に着手するまでは、買主はその手付を放棄し、売主はその倍額を償還して、契約の解除をすることができる」とする定めがある。不動産取引の契約時などにみられるから、ご存知の方も多かろう。

さらに厳しいは失業保険の不正受給に関する「還付命令」だ。雇用保険法第10条で「不正行為で失業等給付の支給を受けた者に対して、政府は支給した失業等給付の全部または一部の返還を命ずることができ、また、不正に受給した額の二倍に相当する額以下の金額を納付するよう命じることができる」(概略)と、失業保険の不正受給には最大「3倍返し」が明記されているのだ。ただ…。だからといって「3倍返し、当然!」と今この時期に職場で口にする際は、念のため、“周囲”に注意・配慮したほうがよいかも。

決断No.634

富士山登山が人気を博している。7月1~21日の登山者数は前年同期より2万人多い7万9057人(環境省)。世界文化遺産に登録されたことが寄与しているようだ。ただ、その人気を必ずしも喜べない。静岡県警が7月中に富士山で保護・救助した登山者が43人に及ぶ。その半数近い19人が、徹夜で山頂を目指す「弾丸登山」者だった。

知人が数年前、「軽い気持ち」で富士山登山ツアーに参加した際の話を聞いた。やはり山頂でご来光を仰ぐのが目的だったから、五合目登山口から登り始めたのは日没後。少し肌寒かったが、登り始めると身体はすぐに温まり、脱いだニットを腰に巻きつける余裕が最初はまだあった。しかし……。雨が降り始めた。風雨が次第に強まった。一気に疲れが出始め、足腰が重くなった。3000mを超えた頃からは、頭も少し痛くなってきた。けれども男女6人のツアー。自分一人が、不調を口にし難かった。

予定より遅い深夜1時頃、登頂前の山小屋に着いた。2~3時間眠れるはずだった休息が、1時間に短縮された。ウトウトしたと思ったら、もう出発時刻。外は雨脚が、むしろ強まっていた。すでに気持ちに登頂への挑戦心はなく、「天候不良のため登山中止」と告げるガイドの声を期待した。ところが頂上付近は晴れているとかで、「じゃあ、行きましょうか」と促され、覚悟を決めて腰を浮かしたその時だ。

一人の女性が口を開いた。「これ以上は自信がないので、登頂を諦める」 知人にはそれが女神の声に聞こえたという。「ありがたい。『彼女だけを残すのは心配』との口実で自分も残れる」と。……結局、彼女に続いて4人が、リタイアを申し出たそうだ。 登り始めた山を、途中で断念するには大変な勇気が要る。事業でも同じだ。

「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングが、子会社で「野菜ビジネス」に進出したのは2002年11月。「スーパーカーのような野菜をカローラ並みの価格で提供したい」と当時の柳井正会長は抱負を語った。将来は衣料品との2本柱の事業に育てたかったようだ。しかし、周囲の多くが懸念した通り、初年度年商は目標の半分に終わった。

柳井氏がなぜ、「野菜ビジネス」という“畑違い”の未踏峰を目指したのか、理由の深くを知らない。しかし、それで失敗した彼を、でもやはり類いまれな優秀な経営者と認めざるを得ないのは、意気込んで始めた挑戦を、世間の批判を恐れず、わずか1年半で諦めて撤退したことだ。その決断の早さ、正しさは、見習って然るべきだろう。

心配りNo.635

夏休みに旅行された方も多かったろう。知人が以前、東南アジアの田舎町へ、ツアーでなく一人旅で出掛けた際の話。ある古い寺院を、どうしても観たかったそうだ。

降り立った鉄道駅からバスが出ていたが、次のバスまで時間があったし、目的地までさほど遠くなさそうで、脚力にも自信があったから、歩いて行くことにした。が、誤算があった。日本とは違うまた強烈な陽射しと湿度。数十分歩いただけで汗びっしょりになった。しかも田園地帯の一本道。太陽を遮るものは何もない。

ペットボトルの水も少なくなり減り不安になりかけてきた頃、差しかかった集落の道端で、パラソルの日陰のパイプ椅子に座って、切り分けたスイカを売っている60代くらいのオジサンが居た。生モノだからと一瞬躊躇はしたが、瑞々しくて甘そうなスイカの誘惑に勝てず、「This one (これを)」と彼は一切れを指差した。するとオジサンは、椅子から立ち上がり、一切れのスイカを皿に乗せて差し出しながら、自分が座っていたイスを指差し、笑顔で「オーケー」「オーケー」と旅行者の彼に言ったそうだ。

そのゼスチャーがどういう意味か、説明は必要あるまい。炎天下を歩いてきた旅行者への労い。「何年か経ったいま、その後に着いた寺の記憶は薄らいできたのに、スイカ売りのオジサンのあの笑顔、不思議にはっきり覚えているんだよね」と友人。

もう一つは過日、伊勢志摩方面を回った帰りの近鉄・某駅での話。窓口で帰りの切符を尋ねると、「次の特急は17時10分ですが、指定席は満席。立ち乗りなら構いませんが」との答えだ。仕方がないからそれで帰ることにし、近くの土産物屋で時間をしばらく潰した後、駅に戻り改札を通り掛かると、自分を認めた駅員が「あっ」という表情をして、言った。「○○まで行かれるお客さまですよね。指定席にキャンセルが出ましたよ。一応仮押さえしておきましたが、いかがされます?」

立ち乗り切符を買った後に駅から離れ、もしかすると戻って来ないかも知れない客に、仮発券までして切符を押え、呼び止めてくれた駅員の配慮に大感激した。

某カード会社の宣伝文句ではないが、「お金で買えない価値」を売るのが接客サービスの真髄。機械では決してできない機転を利かせた対応や配慮を、私たちは「心配り」と呼ぶ。便利で手軽なネット通販が盛んないま、しかし対面販売だからこそできる心配りは、何よりの強みだ。その大切さを、いま一度考えたい。

如雨露No.636

列島各地で局地的大雨が頻発している。1時間に50mm以上の強い雨が降った回数は、1983~92年では年平均175回だったのに、93~02年では205回、03~12年は236回と30年間で3割も増えた。地球温暖化で日本の気候が亜熱帯化しているうえ、空調や排気ガスなど人工排熱に伴う都市部のヒートアイランド現象が影響しているとされる。

「バケツをひっくり返した」ような激しい雨は迷惑なので困るが、同じ雨でも「ジョウロで水を注ぐ」ような雨は、なぜか心を穏やかにしてくれるようで、時には嬉しい。

その「ジョウロ」を漢字では「如雨露」と書く。語源は、江戸時代に入ってきたポルトガル語で「水の噴出」を意味する「jorro」。それを如雨露、つまり「雨露の如く」とドンピシャリの当て字で表した私たちの先輩の、抜群の感性には感銘さえ覚える。

「パンジーや 如雨露の水は 風に散り」と俳人・飛岡光枝は爽やかに詠んだ。如雨露での水やりは優しい水やりだから、土にゆっくり、しっとり浸み込んでいくのだろう。

植物を育てるうえでとても大切な作業が「水やり」。とくに盆栽などの鉢植えは、花壇植えや庭植えに比べ、適量の水をどのタイミングでやるかの見極めが大事で、それを会得できるまでに「水やり3年」の学習が必要といわれる。

そもそも何のために植物に水をやるのか。「水分補給」は当然だが、しかしそれだけでは半正解にとどまる。専門家によると水やりの最大の目的はむしろ、水をやることによって土中の古い空気や老廃物を押し流すとともに、新しい空気を供給することにある。それでこそ植物は、根から新鮮な酸素を吸収することができ、活性化する。

だから、たっぷり水を注ぐことが愛情なのだと勘違いし、受け皿に常に水が溜まっていたり表面の土がいつも湿っているほど水をやるのは、根腐れの原因になるから、良くない。「水やりはメリハリが肝心」と近所の花屋に教わった。土が乾き始めるまでは放っておいてよく、葉の元気が少しなくなりかけたら、水を土中の老廃物を外に流し出すほど充分やり、その後には必ず、受け皿に溜まった余り水を捨てることだと。

植物を育てることと、人を育てることは、どうやら似ている。わが子や部下が、やがて美しい花を咲かせるように育てるには、愛情ただ注ぎ過ぎるのではなく、その注ぎ方とタイミングを間違えないよう、むしろ根気よく見守ることこそ大事なのだ ―― 如雨露で静かに水をやっていると、そんなことが分かってくる気がするから不思議だ。