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チリンチリンNo.629

日本の曹洞宗の開祖・道元は、中国に渡り修行した際に如浄和尚から教わった詩を、後の著書「正法眼蔵」に収めている。「渾身は口に似て虚空に掛かり 東西南北の風を問わず 一等に他の為に般若を談ず 滴丁東了滴丁東」(全身を口のようにして空中に掛かり、風が東西南北のどちらから吹いてこようとも構わず、ひたすら他のために知恵・真理を説いている。ちちちんとうりょう ちちちんとう)。題を「風鈴の頌」という。末尾の「滴丁東了滴丁東」を現代風に訳すと「チリリンチリン」になるそうだ。

夏の風物詩・風鈴の前身は「風鐸」である。現在でも寺院の軒などに吊り下げられているのをよく見る青銅の提灯様の装飾物のことだ。風が病気や不運を運んでくると考えられていた古代中国で、風鐸は強風が吹くとガラガラと鳴る“邪気除け”として生まれた。日本には平安時代に貴族の屋敷などでも採り入れられ、鎌倉時代には「風鈴」、さらに「風鈴」へと名を変えて行った経緯は詳らかではないが、江戸時代にビイドロ製、明治時代にガラス製、大正時代に鋳物製など、現在では多種多様な風鈴を目にする。

来週9~10日に開かれる東京・浅草寺「ほおずき市」では、露店の店先に吊るされた多くの風鈴がチリンチリンと鳴って涼味満点である。けれど、「ほおずき市+風鈴」の歴史は実は浅く、黒澤明監督が昭和40年の映画「赤ひげ」を撮った際、男女の再会シーンを効果的に盛り上げる演出として考え出されたものだ。しかも映画で使われたのは現在のガラス製の江戸風鈴ではなく、余韻の長い鋳物製の小田原風鈴だった。新しい庶民文化というのは、そんなふうにして創造され、定着していくものなのだろう。

風鈴にまつわる新しい文化は、愛知県・矢作川の支流沿いに約100世帯、300余人が暮らす山間(やまあい)の町・豊田市小渡町にも生まれ、いま根づきつつある。普段は清流のせせらぎだけが聞こえるような静かな集落に、今月21日から8月末までは、風鈴の軽やか音色が溢れる。平成15年に町内の青年部が町興しイベントとして、短冊に願い事を書き込んだ風鈴を、町内の増幅寺や智教院に奉納するとともに、集落を通る狭い道の両側に軒を連ねる商店や民家もまた、軒先にたくさんの風鈴を吊るし、訪れる人の目だけでなく耳も楽しませようという「小渡の夢かけ風鈴まつり」を始めているのだ。

最近「風鈴寺」とも呼ばれる増幅寺境内では、7000個余の奉納風鈴が、風に揺れ、鳴る。でも決して煩く聞こえないのは、たぶん響きが、耳というより心に届くからだろう。

パクるNo.630

「ぱく・る」とは、①口を大きく開けて食べる。ぱくつく ②他人の物を掠め取る。かっぱらう ③犯人などを検挙・逮捕する ―― などの意味が辞書に載るが、最近では、④他人のアイディアや特徴を真似たり流用すること、という意味での使われ方が多かろう。たとえば「ディズニーやキティなど世界的な著名キャラクターを無断でパクって儲けようとする中国民族の非常識さ」などというように。しかし――。

名物メニュー「幻の手羽先」で知られ、いま全国75店舗を数える居酒屋「世界の山ちゃん」(本店・名古屋) の創業者・山本重雄氏は、いわばパクり続けて会社を大きくしてきた。高校を卒業し自衛隊に入隊。調理班に配属中、キャバレー王・福富太郎氏の著書「あなたも1億円貯められる」を読んで一念発起。21歳で除隊後、開業資金稼ぎと修業のため、居酒屋で働き始めた。その時隣りにあったのが、オリジナルメニュー「手羽先の唐揚げ」が評判になり繁盛していた居酒屋「風来坊」の支店だった。

資金を貯め、1981(昭和56)年にわずか4坪13席の小さな店「串かつ・やきとり やまちゃん」を開業した山本氏は、やがてメニューに手羽先を加えることにした。「しかし私には技術がなく、風来坊さんと同じ味は作り出せない。だからタレを、風来坊さんの甘辛味に対して、ウチはコショウを使ったピリ辛味に変えるなど工夫はしたけど、基本的に風来坊さんの真似をしたのは事実」と山本氏は公言してはばからない。

その「風来坊」の創業者・大坪健庫氏が、笑いながら話しているのを最近テレビで観た。「山本さんは、いつも、どこででも『名古屋の手羽先の元祖は風来坊さん』と言ってくれている。だから、憎めないし、文句の言いようもありませんよ」

山本氏がパクったのは、実は「手羽先」だけではない。「幻の手羽先」と銘打ったその「幻の…」は、よく売り切れてしまうため常連客の一人が「まるで幻の手羽先だな」とボヤいたひと言を頂いたし、店名「世界の山ちゃん」の「世界の…」は、あるバイト店員が、客からの電話に冗談で「はい、世界の山ちゃんです」と応対していたのが面白いというので、法人化に際し社名にまでした。

まだある。始業前にスタッフが歌う社歌「幻の歌」は、なんと「♪新しい朝が来た 希望の朝だ」で始まる唱歌「ラジオ体操の朝」の、メロディはそのままで歌詞のごく一部を変えただけの、やはりパクリだ。 真似する、パクる ―― それで成功するか否かは、感性と、大事なのは人柄なのだろう。

直木三十五No.631

芥川賞・直木賞の第149回受賞者が17日決まった。純文学が対象の芥川賞は藤野可織さんの「爪と目」、大衆文学が対象の直木賞は桜木紫乃さんの連作短編集「ホテルローヤル」。どうやら週末にまたブラリと本屋を覗くことになりそうだ。

ところで、文藝春秋社の社長だった菊池寛が昭和10年創設した芥川賞の「芥川」が、「羅生門」「蜘蛛の糸」などの代表作を持つ芥川龍之介であることはご存知の通りだ。ところが、では直木賞の「直木」はどういう作家だったのかは、案外知られていないのではあるまいか。ほかに谷崎潤一郎賞、川端康成賞、三島由紀夫賞、太宰治賞、柴田錬三郎賞、山本周五郎賞、吉川英治賞、江戸川乱歩賞、松本清張賞など錚々たる文豪の名を冠した文学賞が多い中、「直木」の知名度はいま、彼らに比べるとかなり低かろう。

直木三十五。明治21年大阪に生まれ、43歳になる少し前の昭和2年に亡くなった。結核、リウマチから脊椎カリエスになり、最後は脳膜炎に罹り、逝った。

ペンネームは最初「直木三十一」だった。本名・植村の「植」を分解し、31歳でデビューしたからで、翌年に「三十二」、翌々年には「三十三」に替えた後、「三十五」で止めた。「三十四」を飛ばしたのは「惨死」に繋がるのを嫌ったとも言われる。

書く時は机に向かわず、敷き布団にうつぶせに寝て、枕にアゴを乗せて書く。そんな格好で書くのに、驚くほどの速筆。編集者がタバコ一本吸いながら待つ間に雑文1本を書き上げたとの逸話もある。生涯に小説300本、随筆300編余を残した。ただし、一度書いた文章は推敲どころか読み返しもせず、誤字脱字はザラだったそうだ。

それほどたくさん書いたのは、原稿料が入る前にお金を女遊びやギャンブル、旅行や趣味に使ってしまう浪費家だからで、家の居間には4、5人の借金の取り立てが年中居て、順番を待っていたという。多作のせいか、直木には万人が一致して推す代表作がない。にもかかわらず菊池が「直木賞」を設けたのは、親友だったうえ、「文藝春秋」に文壇ゴシップ記事を連載し、売り上げ増に貢献していたからだとの見方がある。

しかし、直木の甥・植村鞆音の著書「直木三十五伝」を読むと、彼の生涯そのものが直木賞に値するほどドラマティック=小説的だったことを知る。だからこそ友人・菊池寛は、彼の名を長く後世に留めたかったのではなかろうか。彼のような奔放な生き方など、もう絶対にできなくなってしまった現代社会を、さて喜んでよいのかどうか迷う。

「つもり違い」No.632

今回の参院選で衆参両院における与野党の「ねじれ」現象が解消した。その結果、日本の政治が今後どういう方向に向かって走り出すのか、不安と期待が相半ばしながら見守っているというのが、いまの国民の正直な思いではなかろうか。

今回の選挙では投票率が56.61%と史上3番目の低さにとどまったことを、マーケティングプランナー竹井義昭氏は23日付「ダイヤモンドオンライン」でこう分析している。「識者の多くは『どうせ自分が投票しても何も変わらない』という“諦念の結果”と指摘しているが、そうは思わない。『自民党をぶっ壊す』と宣言した小泉純一郎がヒーローになり、2009年衆院選では一転、民主党旋風が吹き荒れた。

しかし、何かを変えてくれそうな期待を抱いた民主党に変える力がないことを理解した国民は、(次に)橋下徹に期待した。だが、その橋下氏も慰安婦発言をきっかけに人気が急落。そうした流れの中で国民は、自民党、安倍総理に“変化への期待”を託しただけのこと。『変わらないことへの諦め』ではなく『変えてくれることへの期待』が、今回の自民圧勝の意味ではないか」 同感である。だから安倍自民党は決して、今回の結果を驕ってはならないのだ。

今回の選挙でも多くのメディアが選挙前、街頭の有権者に訊いていた。「投票には行きますか?」。「はい、行くつもりです」と答えた有権者の多くが、最初から嘘をつくつもりだったとは思うまい。投票に行く「つもり」だったが、急用が出来て――などというやむを得ない事情も投票率を押し下げたのだろう。なにしろ「つもり」というのは、当てになるようでならないもの。今回が最初になった選挙運動の「ネット解禁」だって、若者の投票率アップを図るつもりだったのが期待外れに終わったようだし。

期待と現実の違い――唐突だが以前、作者不詳の「つもり違い十カ条」というのを読んだことがある。いわく、▽高いつもりで低いのが教養 ▽低いつもりで高いのが気位 ▽深いつもりで浅いのが知識 ▽浅いつもりで深いのが欲 ▽厚いつもりで薄いのは人情 ▽薄いつもりで厚いのは面の皮 ▽強いつもりで弱いのが根性 ▽弱いつもりで強いのが自我 ▽多いつもりで少ないのが分別 ▽少ないつもりで多いのが無駄。残念ながらその一つ一つを否定できない傲慢さや身勝手さが、人間にはある。

日本を取り巻く世界情勢が一段と厳しさを増す中、今回の選挙に有権者一人一人の思いを付託したつもりが、とんだ「つもり違い」にならぬよう願うばかりだ。