2012年10月のレーダー今週のレーダーへ

待つNo.590

映画「ネバーエンディング・ストリーリー」の原作者ミヒャエル・エンデは、日頃思いついた着想や小品、エッセイを、メモ帳や時には請求書の裏にまで書き留めていたそうだ。それらをまとめた「エンデのメモ箱」(田村都志夫訳)に収まる以下の逸話を、紙幅の大半を引用で埋める後ろめたさを押しても、お読みいただきたいと思った。

▽もう何年も前の話だが、遺跡発掘のために中米の内陸へ探検行した学術チームの報告を読んだことがある。携行する荷物の運搬のため、幾人かのインディオを強力として雇った。この探検にはこまかな日程表が組まれていた。初めの四日間は思ったよりも先へ進めた。強力は屈強で、おとなしい男たちである。日程表は守られた。

だが五日目に突然インディオは先へ進むことを拒否した。インディオたちは黙って円になり、地面に座ると、どうしても荷物を担ごうとしなかった。学者たちは賃金を釣り上げる手に出たが、それも功を奏しないとわかると、インディオたちをののしり、最後には銃で脅かしさえした。インディオたちは無言で円陣を組み、座り続けた。学者たちはどうすればよいかわからなくなり、ついにはあきらめた。日程はとっくに過ぎていた。

そのとき―― 二日過ぎていた―― 突然、インディオたちはいっせいに立ち上がり、荷物をまた担ぐと、賃金の値上げも要求せず、命令もなしに、予定された道をまた歩きだした。学者たちはこの奇妙な行動がさっぱり理解できなかった。インディオたちは口をつぐみ、説明しようとしなかった。ずいぶん日にちが経ってから、白人の幾人かとインディオの間にある種の信頼関係ができたとき、はじめて強力の一人が次のように答えた。「早く歩きすぎた」とインディオは話した。「だから、われわれの魂が追いつくまで、待たなければならなかった」――。

詩人・加島祥造の詩集「求めない」からの引用をさらに重ねる横着をお許し願いたい。 ▽求めない―― すると、簡単な暮しになる / 求めない ―― すると、いまじゅうぶんに持っていると気付く / 求めない ―― すると、それでも案外生きてゆけると知る / 求めない ―― すると、比べなくなる(人と自分を 過去と今を 物と価値を 持つと持たぬとを) / 求めない ―― すると、時はゆっくり流れはじめる ――。

時間に追われ、前のめりになって日々を過ごしている私たち。しかしだからこそ時に、インディオたちのように「魂が追いつく」のを待つ心持ちを、忘れないでいたい。

無名人の名言No.591

「マーケティング界のドラッカー」と称されるハーバード大学のセオドア・レビット元教授が1960年代に発表し、ベストセラーになった著書「マーケティング発想法」は、こんな書き出しで始まる。「いつかレオ・マックギブナはこういった。『昨年、1/4インチ・ドリルが100万個売れたが、これは、人々が1/4ドリルを欲したからではなく、1/4インチ・ドリルの穴を欲したからである』」(土岐坤(まもる)訳、ダイヤモンド社刊)

つまり、消費者が求めたのは「1/4インチ・ドリル」そのものではない。「何かに1/4インチの穴を開ける」ということ。だから、彼らがどんな材料に、あるいはそもそも何のために、ドリルで穴を開けたいと思っているかというニーズの深層を知ることこそ重要なのだ――マーケティング発想の基本を教える警句的名言として現在にも残る。 ただ、この名言はレビット教授も書いた通り、教授自身ではなく「レオ・マックギブナ」氏の言葉からの引用である。では、そのマックギブナ氏とは一体誰? 多くの人が調べたが分かっていない。どうやら無名の人物らしい。

さて、本日の小欄はここからが本題。無名の人物だって、誰もが合点する名言を口にするものだ、という話だ。放送回数1万2300回を超すTBSラジオ系列の長寿番組「誰かとどこかへ」のパーソナリティ・永六輔が、番組への便りなどから集めた「無名人名語録」(講談社刊)には、市井の無名人たちによる名言がわんさか載る。

・私ァ、名もない職人です。売るために品を拵えたことはありません。ええ、拵えたものが、ありがたいことに売れるんでさァ。

・子どもの非行っていうけど、子どもが非行に走るってことが、親の非行だと思うんだ。そういう親で、学校に文句の言える親なんかいないよ。

・ニュースを見ていたらアナウンサーが事故の遺族に向かって『ショックを隠し切れないようです』って言うんだよ。ショックって、隠しとかなきゃいけないのかねェ。

・内閣改造じゃ大臣の候補に順番待ちみたいな議員がいて、そういう連中が入閣しちゃうんだよね。能力に応じて大臣になるというなら話は分かるけど、情けないねェ。イライラしてくるねェ。政治ってあんなもんなんだねェ。空しくなっちゃってさ。

この「無名人名語録」は1990年5月発刊。つまりこの国の政治の質が、22年後の現在も、政権与党が変わっても、何ら変わっていないことに、いたたまれない思いがする。

二面提示No.592

100余年前、ロンドンの新聞の片隅にこんな「求人広告」が載ったそうだ。「求む男子。至難の旅。わずかな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証なし。ただし、成功の暁には名誉と賞賛を得る」 広告主は英国の探検家アーネスト・シャクルトン。世界初の南極大陸横断に挑戦する探検隊員を募集したのだ。

生還の保証もない危険な探検で、報酬もわずか。となれば、手を上げる者などほとんどいまい ―― と思いきや、なんと5000人近い応募があったとの逸話が残る。ただし、「シャクルトンに消された男たち ~南極探検体の悲劇~」の著者ケリー・テイラー・レイスによると、当時の新聞を調べてもそんな広告は見当たらなかったというから、逸話の真偽は実は定かではないのだが、それでも「人間は、金や地位だけが目的で働くわけではないことを証明した求人広告の例」としてよく用いられている。

1954(昭和29)年公開の黒澤映画「七人の侍」も、その「求人方法」はシャクルトンの逸話に似ている。秋の収穫期になると食糧を奪いに村を襲ってくる盗賊化した野武士たちがいた。そこで村の長老は彼らに対抗するため自分たちも侍を雇おうと考え、話に乗ってくれそうな浪人たちを探しに町へ行く。その際、長老が浪人たちに持ちかけた条件は、「払う金はない。けれど、白いご飯を腹一杯食べさせる」というもの。貧しい自分たちは稗で我慢し、侍たちには貴重な米の飯を好きなだけ食べさせるという村人たちの必死な思いを汲んで、「七人の侍」が集まり、無法者の野武士たちと戦う。

2つの話に共通しているのは、「人集め」に際して、自分からは言いづらい「マイナス情報」を、最初から明示していることだ。前者なら「苦しい仕事だけど、名誉と賞賛を得られる」、後者なら「金は出せないが、ご飯を思う存分食べさせる」と。

プラス情報だけを教えてマイナス情報を隠すのではなく、マイナス情報も最初から相手に明示したうえで判断を仰ぐ ―― 心理学では「二面提示の効果」と呼ぶ。プラス情報だけを示す「一面提示」より、マイナス情報も同時に伝える「二面提示」のほうが相手の信頼度が20%増し、また教育程度の高い人ほど「二面提示」の説得や勧誘に応じやすいことが、実験で証明されている。

求人活動に限るまい。選挙が近づくとマイナス情報を隠したがる「政治家」ならぬ“政治屋”たち。国民の怒りを、「近いうち解散」とやらの機会に教えて差し上げよう。

トップの孤独No.593

なってみると、ほとんど誰もが同じ言葉を口にする。「社長は、孤独だ」と。

トップが孤独を実感するのには4つの理由がある。①相談相手が少ない=業績が思わしくなく資金繰りが苦しくても顔に出せず、他人に相談できない。②物事がうまく運ばなくても、他人のせいにはできない。③他人を、安易に信用できない=むしろ、トップになったとたん近づいて来るような人には警戒心が先に立つ。④社内で連帯感を共有しにくい=自分は仲間意識を持ちたくても、社員は一歩引いて近づきにくくなる――そんな雰囲気から、孤独感に襲われるトップが少なくない。

プロ野球パリーグでは日本ハムが、「たぶんBクラス」という大方の予想を覆し3年ぶりにリーグ優勝を果した。監督は、1990年オフの引退から21年、コーチ経験さえなかった栗山英樹氏。平社員がいきなり社長に抜擢されたようなものという印象を、多くが持ったと思う。それも、昨季までの大黒柱ダルビッシュ有投手を欠いたチームの。

「野球以外のことを、こんなにやっていない年はない。何をやっても楽しくない。寝ようが、食べようが、酒を飲もうが……。勝つことしか楽しくないんだよ」という栗山新監督の優勝後のインタビューに、リーグ期間中の彼の孤独感が滲み出る。

栗山氏が監督を引き受けるに際し球団に求めた条件は「コーチ陣をそのまま残すこと」。自身で守ったのは「コーチの指導には一切口を挟まないこと」だったという。

そう聞いて思い出すのは、江戸時代、熊本藩の名家老として知られた堀平太左衛門を巡る話だ。彼の評判を耳にした幕府老中・松平定信が平太左衛門を招き、「郡政の要諦は何か?」と尋ねると、彼は「それは町奉行にお聞きください」と答えた。「では財政運営は?」との質問には、「その話は勘定奉行に」。「ならば、貴殿の役目は何なのか?」と重ねる定信に、平太左衛門はこう答えたそうだ。「私の職分は、彼らを気持ちよく働かせ、使いこなすことです」 栗山監督の管理術が、まさにそうだったのだろう。

リーグ優勝直後のスポーツ紙に、こんな話も載っていた。「キャスター時代とは違う部分が、監督業にはあった。スタメン落ちや2軍降格を決断しなければならないことだ。8月12日の西武ドーム。栗山監督は、満足に出場機会を与えられなかった鵜久森を呼び出し、降格を告げた。部屋には、おえつが響いた。選手の悔し涙ではない。そこでは、監督が号泣していた」(10月3日付日刊スポーツ) 選手たちが奮起するはずだ。

笑顔No.594

今月初めに日本デザイン振興会が発表した「2012年グッドデザイン賞ベスト100」の中に、ちょっと面白いものがあった。ソニーコンピューターサイエンス研究所が開発した「笑顔を見せないと扉が開かない冷蔵庫」である。ジョークではない。

デジカメではすでに、被写体の人間が笑うとシャッターが自動的に切れる仕組みのカメラが商品化されているが、同様の「笑顔識別センサー」が冷蔵庫の扉に付けられているのだ。なので、扉の前に笑顔で立って開ければ軽やかに開くが、無表情のまま開けようとするとけっこう力が要り、開けにくいのだとか。でも、一体何のために?

目的は「日常生活の中で積極的に笑顔になる機会を増やすこと」にあるという。「笑顔になればポジティブな感情を促進し、幸せ気分になれるから」だ。とくに一人暮らしの年寄りがこれを使えば、気分を高められるだけでなく、撮った「笑顔写真」を遠くに住む家族に送信する機能を加え、「見守りシステム」に活用することもできる。

「笑顔」が健康にもたらすプラス効果は、医学的にも立証されている。若くて健康な人でも1日5000個近いガン細胞が生まれており、これらのガン細胞やウイルスなど体に悪影響を及ぼす物質を退治するのがNK(ナチュラルキラー)細胞。人間は、笑うと刺激が間脳に伝わって神経ペプチドが活発に作られ、血液やリンパ液を通じて体中に流れる。この神経ペプチドがNK細胞に付着するとNK細胞が活性化、ガン細胞やウイルスを攻撃して免疫力を高めるのだ。人が大笑いした後のNK細胞は、ガン治療薬を注射した時より免疫力が高いという。そんな実証を見れば、なるほど「笑わなければ扉が開かない冷蔵庫」は、いまや真面目な、1つの時代の要請なのかも知れない。

「笑う」という感情がまだないはずの生後間もない新生児が、ニコッと笑うような仕草を見せることがある。「エンジェルスマイル」と呼ばれる。大人たちに「可愛がってね」と訴えるためのサインで、医学的には「生理的微笑」と表現するそうだ。

誰しもわが子の「エンジェルスマイル」が愛おしくて頬ずりした時もあるだろうに、やがて虐待したり殺めたりする若い両親が後を絶たない。彼ら一人一人の成長過程で何かが原因で心のどこかに歪みが生じ、その結果、母性や父性が閉じ込められてしまったのだろうか。そんなふうに病んだ彼らの心の扉を、力づくではなく笑顔で開けられるような社会に変えていくことも、私たち大人の、役割と言うより共同責任だと思う。