2012年4月のレーダー今週のレーダーへ

春にNo.566

「春の天気は、ふる・ふく・どん」との古諺がある。高気圧と低気圧が3~5日置きに通過する春は、雨が降ったり風が吹いたり曇天の日が多い、の意味。3月が寒かった今年。桜前線が先月末、去年より3日、平年より5日遅れて関東まで北上したと思ったら、いきなり春の嵐だ。早々に散ってしまわないかと心配したが、桜の花は受粉期間である開花~満開の1週間ほどは、ちょっとやそっとでは散らないよう丈夫にできているのだそうだ。自然のメカニズムは、人間が考えているよりずいぶん優れているのだ。

鎌倉時代の歌人・藤原為家に「佐保姫の 名匂ふ山も春来れば かけて霞の衣干すらし」の一首がある(「続拾遺和歌集」)。古代中国の五行思想では春は東の方角にある。そこで平城京の東に位置する佐保山を擬人化し、「春の女神=佐保姫」と呼んだらしい。霞がかかって、野や山を淡く染めるこの季節の景色と風情を、柔らかな薄地の衣をまとった清楚な若い女性のイメージを映してそう譬えたのだろう。

その「霞」は、あくまで文学的表現であって学術的定義はなく、だから正式な気象観測の対象になっていないのだそうだ。つまり「霞」とは、霧や靄、巻層雲(薄雲)や高層雲(おぼろ雲)、さらには黄砂などによって、遠景がぼやけ、霞んで見える春特有の現象を指す。だから昔は、「霞に千鳥」という、「不釣合なこと、チグハグなこと」を意味する言葉もあった。そう、千鳥は、春ではなく秋の鳥だからだ ―― などと知ると、昔の日本語にはずいぶん奥行きの深い表現があったのだなあと改めて感心する。

さて、桜といえば花見。花見といえば、年配世代が思い出すのは中国の詩人・于武陵の漢詩「勧酒」だ。「勧君金屈巵(君に勧める金屈巵=金の盃)/満酌不須辞(満酌辞するを須いず)/花発多風雨(花発けば風雨多く)/人生足別離(人生別離足し)」という原詩は思い出せなくても、井伏鱒二による以下の名訳は多くが知る。「コノサカヅキヲ受ケテクレ/ドウゾナミナミツガシテオクレ/ハナニアラシノタトヘモアルゾ/『サヨナラ』ダケガ人生ダ」 オジサン世代は、後半2行にわが半生での別離を重ね、思わず頷く。

今週末にかけ、花見を兼ねた新入社員や異動社員の歓送迎会を予定する会社も多そうだ。そこで、再び古諺「桜は花に顕る」を届けよう。それまでは何の木か分からなかった桜は、花開けば優れた素質・才能を現す、の喩え。そんなふうに育ち、見事に花を咲かせられるかどうかは、本人の努力と周囲のサポートしだい。1年後が楽しみだ。

立ち止まるNo.567

最近、人混みの中で腹を立てることが増えた。前から来た人とぶつかりそうになり、慌てて左右に動くか立ち止まって道を譲るのはいつも、明らかに年配者の自分。近ごろの日本人は若者に限らず大人でさえ、相手のことなどお構いなく突き進んでくる。

江戸時代の町人のマナー「江戸しぐさ」のことを数年前の小欄で触れた。狭い道で擦れ違う時は、互いが肩を引いて体を斜めにし、ぶつからないようにする「肩引き」。雨の日なら、双方が傘を外側に傾けて滴が相手にかからないよう気を配る「傘かしげ」。乗合舟で後から客が乗り込んでくれば、先客一人一人が両拳を座席に当て腰を浮かせて横に詰め、一人分のスペースを作った「こぶし腰浮かせ」などの数々だ。

江戸時代には「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」との言葉があった。3歳までは愛情たっぷりに育て、6歳に躾、9歳に言葉、12歳に文字、15歳には真実を見抜く力を身に付けられているか否かで将来が決まる、の意味。その通り当時の躾は厳しかった。誰かに足を踏まれ、「すみません。私がうかつでした」と謝るのは、足を踏んだほうではなく踏まれたほうのマナーでさえあったのだ。

本論に入ろう。今日のテーマは、いま関西電力大飯原発の“再稼動”に向けて動き出している野田政権を見て感じる、「立ち止まることの大切さ」だ。

信濃毎日新聞は昨年8月14日、終戦の日を翌日に控えた「社説」で、ジャーナリストの大先輩・むのたけじ氏による以下の言葉を引用していた。

「敗戦のとき日本は『忘れ物』をした。それは政府も、国民も、自らを裁こうとしなかったこと。『自らを裁く』とは、戦争中のことを自分たちで徹底的に調べてわびること。だれが始めたか、どんな犯罪行為があったのか。あらゆる方向から検証し、忘れないように反省と行動を一人ひとりが骨身にしみこませる。それが不戦と平和の重しとなる。だが、日本人は自らの過ちと正面から向き合わず、横からちょこちょこすり抜けた」

 

「社説」は、むの氏のその言葉を今回の原発事故問題に重ね、こう訴えていた。「立ち止まってみる。今度は、すり抜けることがないように」と。同感である。

中国・唐代の正史「新唐書」には儒学者・朱敬則の言葉が残る。「終身譲路/不枉百歩/終身譲畔/不失一段」(一生道を譲っても、たかが百歩。一生畦(あぜ)を譲っても、たかが一段(たん))。なのだから、急ぎ過ぎず、立ち止まり、もっとじっくり考えてはどうか。

若者を知るNo.568

日本生産性本部恒例のネーミングによると、今年の新入社員のタイプは「奇跡の一本松型」だそうだ。理由は「前例のない厳しい就職戦線を潜って残った頑張り」と「今のところは未知数だが、先輩の胸を借りる(接木)などしながら個性や能力(種子や穂)を育てていけば、やがてどんな部署でもやっていける(移植)だろうし、他の仲間とつながって大きくなっていく(松原)だろう」からだとか。こじ付けが、年々苦しくなってきた。

昨秋、「格差社会の是正」を求めるニューヨークの若者らの訴えが共感を呼んで、数千人規模の集会が世界各国に広まった。日本にもその動きは及んだが、しかし参加者数は100人程度。他国に比べ際立って少なかった。「日本の若者はなぜ立ち上がらないのか」と日本経済新聞(2011年10月26日付電子版)が識者に意見を求めた記事で、中央大学の山田昌弘教授はこう指摘した。「日本の若者が立ち上がらないのは、不満がないから。将来を考えれば不安はあるが、今は楽しい。これが大方の若者の本音ではないか」

「その通りだと思う」と続報記事「若者不在の若者論」(同11月11日付)で共感していたのは、東京大学大学院博士課程在籍中で自身も26歳の若き社会学者・古市憲寿氏だ。古市氏が挙げたのは内閣府の世論調査結果。それによると、2010年調査で「現在の生活に満足している」と答えた20代が、70%にも及んでいる。40代の58%、50代の55%を大きく上回っただけでなく、1960年代の60%、70年代の50%という減少傾向から反転し、過去40年間で最高の「満足度」を示した。他方で、「悩みや不安がある」とする回答が、1980年代後半の40%未満から、2010年は63%へと高まっている。

格差社会や非正規雇用の増加が社会問題化している。にもかかわらず現状に“満足”している若者たち。彼らをどう理解すればよいのか?―― 古市氏は近著「希望の国の幸福な若者たち」で元京都大学教授・大沢真幸氏の以下の分析に同感している。

「人は、将来はより幸せになれるだろうと考えた時、現在の生活に満足できないと感じる。逆に、もうこれ以上幸せになれるとは思えない時、今の生活に満足する。将来に希望を持てないからこそ、今に幸せを感じる現象が起きているのではないか」

古市氏は「多くの若者にとっては、未来の『貧しさ』より今現在の『寂しさ』のほうが切実な問題」と同書「希望の国の…」で書く。今時の若者を新入社員に迎えたり顧客に考える時、彼らの行動思考を読み取る好適の参考書になると思うから、一読を薦めたい。

見下ろすことと・・・No.569

「東京スカイツリー」は17日に展望台「天望回廊」が報道公開され、19日にはライトアップも試験点灯されて、来月22日の開業に向けカウントダウンが始まっている。

地上450mという電波塔としては世界最高の展望台に、一度は上ってみたいが容易ではなさそうだ。展望台への入場は5月22日~7月10日は完全予約抽選制。すでに抽選が終わった開業日の当選倍率は実に335倍、平均でも6倍強とかなり高い。

おかげで、と表現してよいかどうか、「タワー人気」が全国に広がっているらしい。「東京タワー」へは、展望台から「東京スカイツリーを見に」来る客が増え、昨年は年間241万人だった入場者が今年は300万人に達しそうだとか。「さっぽろテレビ塔」でも今年1~3月の入場者が前年同期比約50%増、「福岡タワー」は同27%増、「通天閣」も昨年10月から入場者が前年同期を上回り続けているらしい。 「新東京タワー」建設の構想が持ち上がったのは1998年。テレビが地上デジタル放送に切り替わると一部地域の受信状態が悪化するのを改善する狙いがあった。しかし、石原慎太郎東京都知事は当初、経済効果500億円といわれたこの構想に乗り気ではなかったことを、タワー評論家・鈴木重美さんの近著「このタワーがすごい!」で知った。

都知事は2004年の定例会見でこう答えている。「(新タワーなど)どこにも作る必要はないと思いますよ。あんなばかでかいタワーが要るか要らないか。(今後の技術進歩を考えれば)要らずに済むんじゃない?」。熱心なオリンピック誘致などイベント好きな石原都知事にしては珍しい発言、と受け取っては偏見だろうか。

その石原都知事が、今度は尖閣諸島の一部を東京都が買い取ると突然発表し、物議をかもしている。「政府にほえづらを」(毎日新聞19日付)と口にしたとかいう彼独得のやんちゃな表現はともかく、国民の多くは、阿部孝夫・川崎市長が「気持ちは理解するが、よくやったという気持ちと、やり過ぎというのと五分五分」(19日定例会見)と答えたと同じ率直かつ複雑な感想を抱いているのではあるまいか。ただ――。

小欄に私見を挟むべきではないと承知しつつ、石原さんにはやはり一言、言いたくなる。「スカイツリーが完成したらぜひ展望台に上り、庶民が住む世界を見下ろしてくださいな。芥川賞作家に大変失礼だけど、“見下(お)ろす”ことと“見下(くだ)す”ことの違いを踏まえたうえで話をしてくれたなら、あなたの考えへの理解者はもっと増えるでしょうに」と。