夏至を迎えた途端、いきなり真夏並みの暑さに見舞われている。おかげで風呂に入る時間帯が変わった方もいらっしゃるのではないか。仕事を終えて家に帰ったら、着替えるついでにシャワーで汗を流し、さっぱりしてから夜の時間を寛ぎたくなる。 だからこそ余計である。こんなふうにいつでも自由に風呂に入ることができる自分たちの日常を、申し訳ないほど幸せだと思う。東北大震災で避難所生活を強いられている被災者は現在8万人超。そのほとんどが、暑いとか跡片付けで埃を被ったからといってすぐ身体を洗ったり湯船で疲れをほぐしたりできる環境には、まだない。 被災数日後のニュースで、自衛隊が設営したテント風呂に浸かりながら「嬉しい」「ありがたい」を連発していた人々の、本当に嬉しそうな笑顔を忘れられない。そして、映像を見ながら、湯船での同じような笑顔が昔の銭湯にはあったことも思い出した。 「湯舟」―― 江戸時代は湯を積んだ舟が川を行き来し、その舟に人々が乗り込んで風呂を楽しんだ「移動式銭湯」の名に由来する。当時の庶民階級には風呂に入る習慣がまだなく、固定式の銭湯を建てても採算に合わなかったためらしい。 やがて習慣が広まり、町に銭湯が生まれたのは江戸時代半ば。当時は男女混浴だった。ただし、素裸ではなく湯浴み着を着て入っていたらしく、混浴が厳禁されたのは明治時代になってから……などという余談はともかく、銭湯は、文字通り「裸の付き合い」を通じてご近所同士が顔を合わせ、言葉を交わし、情報を交換し合う最大の地域交流の場だった。最盛期の昭和40年代には全国で2万2000軒あった銭湯が、昨年4月現在では3848軒(全国浴場組合調べ)。言い換えると、地域住民のコミュニケーション密度も5分の1、否、それ以下に薄れてしまったということではあるまいか。 「都会の中の孤独」を扱ったNHK制作のドキュメンタリー番組「無縁社会 ~“無縁死”3万2000人の衝撃~」が昨年大きな反響を呼んだ。番組中で、ホームレスを支援するNPO法人の代表・奥田知志氏が話していた。「『助けて』と言えない世の中は寂しすぎる。むしろ“非社会”だと思う。逆に言えば、社会が社会であるための存立要件は『助けて』と言えるかどうかだと思う。無縁社会の広がりに対しては、絆の部分のセーフティネット、いわば“絆の制度化”が必要ではないか」 震災によって「絆」の大切さを教えられた私たち。教訓をしっかりと受け止めたい。 |
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