「彼らの勇気ある決意に、心からの感謝と敬意を表する」という多くの反応にまったく同感である。捗らない福島原発事故の収束作業を見かねた72歳の大手工業メーカーの元エンジニアYさんが、「私たちも手伝おうじゃないか」と4月上旬、60歳以上を参加条件とする「行動隊」の結成を呼びかけた。すると、全国から165人の参加者と746人の賛同・応援者、180万円余のカンパが集まっている(5月23日現在)という話だ。 「原発の暴発を防ぐには一時的な対応でなく、10年単位で作動する設備を設置し、運転していかなければならない。高度に放射能汚染された悪環境下での危険な仕事を、これからの時代を背負う若い人たちにはさせられない。年齢的にも放射線感受性(=放射線を被曝した場合の障害の起こり易さ)が鈍っているわれわれシニア世代が、持っている知識と技術、経験を生かして担うのが一番いいと考えた」とYさん。 自身の生命を危険にさらしてでも立ち向かおうとしているYさんたちの崇高な決意に頭が下がる。かつてのカミカゼ特攻隊の自己犠牲の精神に通じていそうで根本的に違うのは、今回のYさんたちのそれはあくまで自主判断・自己責任による覚悟であって、「カミカゼ」のような、他人や国家から強いられた自己犠牲ではないことだ。 とすれば、彼らが今回そう決意した背景には、一体何があるのだろうか? 実はYさん世代に近い筆者が最近思っていることがある。それは、日本のシニア・団塊世代の多くがいま心の奥底に持っているのは、日本の高度成長経済を築き支えてきたことへの自負や誇りであると同時に、他方では、行き過ぎた物質文明をもたらし、また子供たちに対する教育を誤った結果、他人を気遣い思いやる心に乏しい社会を作り出してしまったことへの「罪の意識」ではないかということだ。そんな贖罪意識が、もしかすると今回の決意の背景にあるのではないかと拝察しては、無礼が過ぎるだろうか。 「団塊の世代たちは、目標を設定されると、さまざまな問題を解決しながら競争する特徴がある。そのことに関してパワーを発揮するのは事実だが、大局的な立場からビジョンを示し、部下をリードしていくのは得意ではない。このような団塊たちが組織のトップに立つと、組織のマイホーム化が起こり、その結果、組織はその場その場の都合でビジョンなき浮遊体になってしまう」(団塊問題研究会編「団塊の世代が国を滅ぼす」)――たまたま最近読み返した1994年発刊の1冊が、あちこちの分野での現在にダブる。 |
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