「梅雨の走り」と呼んでよいのかどうか、先週は全国的に雨の日が多かった。沖縄・奄美地方の梅雨入りはすでに4月末。平年より9~11日、昨年より6日早かった。平年は6月8~12日ごろという東海・北陸・関東甲信地区も、今年は早まるのだろうか。 都市部では「一雨500本」、首都圏なら「一雨1000本」という言葉が鉄道会社にはあるそうだ。そう、雨の日に忘れられる傘の本数である。実数を知りたくて手を尽くしてみたが、警察にも鉄道会社にも、信頼できる最近の数字を見つけられなかった。 ただ、データはずいぶん古いが、東京都の調査結果に目が止まった。2001年(平成13年)の傘の拾得届出件数は32万4102件だったのに対し、一方の遺失届出件数は2375件しかなかったという点だ。つまり、失くして届ける人は拾って届ける人のたった0.73%に過ぎないということ。しかも、これらは正式な拾得・遺失届があった件数だから、拾っても失くしても届けられないまま消えてしまった、あるいは消えてしまう傘の多さはこの何十倍、何百倍に及ぶのではあるまいか。 「日本の雨傘の消費量は年間1億2000~3000万本で、世界一」とする記述もネットの数カ所で見た。大ざっぱに国民1人が1本を使っている計算だが、多くの家庭では傘立てにはほかに予備傘が何本かあるはずだから、総所有本数は数倍になろう。そう知って考え込んでしまうことは、その本数の多さもさることながら、「傘」という本来なら耐久財的性格の生活用品が、「消費量」という言い方で表現されてしまうほど「使い捨て感覚」で文字通り日々「消費」というより「浪費」されている実態だ。 外出前に空を見る。「午後から降り始めるかも」とお天気姉さんは言っていた。けど、折り畳み傘があいにく壊れている。傘をわざわざ持っていくのは面倒だし、まあいいっか、降り出したら300円傘でも買えば……という発想をそろそろ改めねばなるまい。停電の不便を気にして節電に努めるだけが「省エネ」や「エコ」ではない。 それに、「300円傘」登場のおかげで消えてしまった寂しさも、年配世代は知っている。たとえば仕事帰りの最寄り駅で不意の雨。「さて、困ったな」と思案していると、後ろから頭上にスーッと差し出されたのは花柄の傘。「方向、たしか同じですよね。よかったら、ご一緒に」 そう、「相合傘」から恋が生まれもした――などという「妄想」はともかく、他人の不便に目を遣るそうした心配りが、いま問われている「絆」の原点ではないか。 |
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