コラム


  「キャラ」   No.519
 ▽歯医者の診察で「口紅を拭いてください」と言われて、口笛を吹いた ▽就職試験の面接で「家業は何ですか?」と聞かれ、「かきくけこ」と答えた ▽ある会場の受付で「3階行ってください」と言われ、「3かい、3かい、3かい」と言った ▽履歴書の「趣味」欄に「登山(下山含む)」と書いた―― もっと知りたければ、「三宅裕司の奥さん」でネット検索すると彼女の「天然」ぶりがまだまだ出てくるから、どうぞ。

 他にもいる。アイススケートの浅田真央は「あの3回転ジャンプはどうやって跳ぶの?」と聞かれて「よいしょっ、て跳びます」と答えたし、プロゴルファー・上田桃子は南アフリカへ行った際、コーチに「恐竜はどこにいるんですか?」と真顔で聞いたそうだ。憎めなくて可愛いじゃないか、と思う。ただし、もし連れ合いが同じ受け答えを繰り返した時も同じように寛大に受け入れられるかどうかは、保証の限りではない。

 ともあれ天然キャラ、お馬鹿キャラ、切れキャラ、萌えキャラ、ゆるキャラ、毒舌キャラ等々、近ごろいろんな「キャラ」が蔓延している。「キャラ」は「もともと漫画の手法の一つで、登場人物の個性を印象的で際立ったものにする、というほどの意味で用いられていた」のが、「1980年代にお笑い業界での評価に転用され、テレビを通じて一般化した」と精神病理学の斉藤環教授(自著「キャラクター精神分析」)。

 しかし、一般化し過ぎて、いま学校で起きている見過ごせない現象を斉藤教授は指摘する。「教室には生徒の人数分だけのキャラが存在し、それらは微妙に差異化されながら、キャラがかぶらないように調整されている。どんなキャラと認識されるかでその子の教室空間内での位置づけが決定し、平和で楽しい学校生活を続けていく上では、もはやキャラなしではやっていけないというのが実情だろう」 問題は、その結果だ。

 「キャラ、演じ疲れた」と題する報告記事を、朝日新聞は昨年11月20日紙面に載せた。自分に与えられたキャラを演じることで自分の居場所や友人関係を守ろうと努めながら、内心「こんなのは本当の自分じゃない」と悩んでいる子供たちが増えている、と。子供たちの悩みを学校の相談室で聞いている臨床心理士・岩宮恵子氏がコメントしている。「大人がちゃんと対話している姿を、こどもたちは見るチャンスがないのではないか」 耳に痛い。天然キャラ、お馬鹿キャラばかりのバラエティ番組を、大口を開けて笑って観ている場合じゃない――という反省が筆者だけに言える話ならよいけれど。

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