コラム


  手を携え、乗り切ろう   No.511
 いつものように目覚まし時計に起こされた週明けの朝。眠い目をこすりながら顔を洗い、軽い食事を摂り、出掛ける支度をし、満員の電車やバスに揺られて身をよじりながら、しかし、こんなふうにいつも通りの朝を迎えられたのは、実はとても幸せなことなのだと改めて痛感した諸兄が、今朝はずいぶん多かったのではあるまいか。

 3月11日金曜日午後2時46分。マグニチュード9.0の大地震と津波が東北地方太平洋沿岸地域を襲った。あの阪神大震災の1000倍に匹敵する地震規模だったという。

 中学生らしい女生徒が、津波で地上の一切が運び去られた町の中、佇みながら泣いていた。「みんないなくなっちゃったよ。お母さん……お母さーん!」 思わず溢れ出た涙で、彼女を映すテレビのニュース画面が歪んだ。また50代らしき女性は、こうも口にした。「一瞬で何もかも失いました。命だけは助かったけれど、それがよかったのか、悪かったのか、いまは納得し切れていない」 その心中も察するに余りある。

 宮城県沖から千葉県沖まで約400kmにわたるプレートが最大40cm、深さ70cmほど落ち込んだことによる地震と、それに伴う津波だったとされる。とくに津波の被害が大きかったのは、震源地が海岸から比較的近く、かつ三陸リアス式海岸の複雑な地形がその高さや波長の長さなどに影響し、ダメージを大きくしたと専門家は指摘する。

 ある町では、海岸から5kmも内陸にあるのに木造家屋はすべて崩壊した中、点在して残るコンクリート建物の1つの3階建ての屋上に、大型船舶が一隻、まるでクレーンで降ろされたかのように乗っていた。しかし、それがどの町だったか思い出せないのは、中継カメラが次々に切り替えられて映し出される光景が、どこも同じように壊滅的に破壊され、見分けがつかないからであることに気付いて、ますます愕然とした。

 地震や津波、さらには二次災害としての原発の放射能漏れの危険など、今回の災害に見舞われたか、免れることができたかは、単なる偶然の分かれ目に過ぎないと思う。

 多くの人々が住む家を失い、家族を失い、働く場を失い、懸命に蓄えてきた財産のほとんどすべてを失った。悲しみと落胆に暮れる数万人、数十万人の人々が、これから先を生き抜く勇気と希望まで失わないように、たまたま幸運だっただけに過ぎない私たち一人ひとりが、できる範囲で、できる限りの協力を惜しまず、支えなければなるまい。

 降りかかったこの戦後最大の危機を、すべての日本国民が手を携え、乗り切ろう。

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