“祐ちゃんフィーバー”と表現しては、やはり古すぎるだろうか。ドラフト1位で日本ハムに入団した斉藤祐樹投手の一挙手一投足が連日報じられている。 アンチ巨人の筆者だが、1997年4月6日ヤクルト戦に出た桑田真澄投手の姿は鮮明に覚えている。右ヒジ手術を経てその日661日ぶりに登板した彼は、まずマウンドに跪き、プレートに右ヒジを乗せて、野球の神様に復帰を感謝した。しかも、その日は因縁の友人・清原和博が彼の復活を祝うように放った本塁打が貢献し、勝った。ヒーローインタビューのお立ち台に2人で立った「KKコンビ」の、笑顔まで記憶に残る。 その桑田氏が、先月25日は住友生命保険京都支社主催の講演会で演台に立っていた。 「夢をあきらめない」の演題で語った桑田氏は、「小学生時代からこれまで、挫折ばかりの人生だった」と話し始めた。たとえば清原との出会いも、桑田にとっては、むしろ挫折感と強いプレッシャーを味わう出来事の1つだったという。清原との体格と実力の違いにコンプレックスを抱き、野球を辞めようかと考えたとも。 「僕は体格に恵まれなかったし、150キロの速球を投げられるわけでもなかった。けれども、実力をつけるために必要な努力というものにも『裏と表』があると僕は考えました。実力だけでは、結果は残せないんです。結果を残すには、実力と運、ツキが必要で、その運とツキを貯金するのが『裏側の努力』なんです」と桑田氏。 その「裏側の努力」とは、何も彼が編み出した独創的、画期的な方法ではない。「毎日ほんの少しの時間でできること。たとえばトイレの掃除や、玄関の靴を並べる習慣。きちんとした挨拶や返事。それを毎日コツコツと続けることです」 「野球人にとっては“試練”こそ最高の言葉だ」と桑田氏は言う。「試練は挑戦。とにかく練習を積み重ね、試合で試す――それを心の支えにしてがんばってきた」と。右ヒジの故障中、長らくボールを握られなかった彼は、しかし「下半身は鍛えられる」と2軍グランドでひたすらランニングを続けた。彼が走り続けた部分だけ芝生が禿げているのを見た2軍選手たちは、それを「桑田ロード」と呼び、励みと戒めにした。 今季キャンプイン初日の練習後、斎藤投手とどんな話をしたかと記者団から聞かれた先輩ダルビッシュ投手は「(斎藤祐樹の)裏の顔を見ようと思ってね」と冗談口を叩いた。斉藤君の「裏側」にも、大先輩・桑田真澄が言う「努力」があることを期待したい。 |
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