「来年のことを言うと鬼が笑う」そうだ。でもなぜ、鬼は来年のことを言うと笑うのか?――。諸説ある中で、鬼は人の寿命を知っていて、だから自分の余命を知らない人間が来年のことをあれこれ言っている愚かさを、笑うのではなく嗤うのだとする説が、理由を知ると心穏やかではないが一番もっともらしく聞こえる。 ともあれ、今年もあと10日余。さすがの鬼ももう笑わないと思うから書くと、来年のNHK大河ドラマは「江~姫たちの戦国~」だ。主人公は、近江国小谷城主・浅井長政と妻お市の方との間に生まれた三姉妹の末娘・江(ごう)。のちに徳川二代将軍秀忠の正室で三代将軍家光の生母になった彼女の生涯を描く。琵琶湖の湖北地方や、江が母姉とともに一時住んだ三重県津市などゆかりの地では、早くも観光ブームが期待されている。 江が生まれた浅井氏の居城・小谷城は、1573年(天正元年)織田信長に攻められて落城。その後廃城になり、現在は土塁や、防衛陣地である曲輪(くるわ)、また石垣の一部などが残るだけだが、かつては難攻不落の山城として知られていた。城攻めには通常10倍の兵力が必要とされる中、浅井とその盟友・朝倉勢を合わせて1万8000人だったのに対し、信長と徳川家康の連合軍は3万4000人。城を攻めるには兵力が不足していた。そこで信長が採ったのは、敵を山城から誘(おび)き出し、野戦に持ち込む作戦だった。 信長は小谷城に正面から立ち向かうことを避け、近江― 越前を結ぶ要路上にある横山城を攻めた。これを見捨てられない浅井軍を山城から平地の姉川に引きずり出し、兵力を削ぐためだ。同時に信長は、沢山城や宮部城など拠点を守る浅井軍の諸将が寝返るように心理作戦を展開。加えて、たまたま台風が京滋地方を襲ったタイミングを逃さずに攻め込んだことも功を奏し、至難と思われた小谷城を攻め落とした。 中国の儒学者・孟子は、戦略を成功させる条件として「天の時、地の利、人の和」の3つを挙げた。信長の小谷城攻めは、野戦への誘導、人心の撹乱、台風の襲来と、偶然を含めてその3条件が揃ったことに勝因があった。その孟子はまた、弟子たちとの問答集「公孫丑章句(こうそんちゅうしょうく)」の中でこう言っている。「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず」(天の時は地の利にかなわず、地の利は人の和にかなわない) 「天地人」の中でも「人の和」こそ戦略を勝利に導く最大の要件。いま党内不協和音が軋む民主党政権の危うさは、企業経営においても「他山の石」的警鐘の意味を持とう。 |
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