NHK大河ドラマ「龍馬伝」が終盤を迎えている。龍馬は薩長同盟の立役者。大政奉還にも尽力し、龍馬の提案を元に土佐藩主・山内容堂が徳川慶喜に大政奉還を建白。慶喜がこれを受け入れて奉還が実現したちょうど1カ月後の慶応3年(1867年)11月15日、京都・近江屋の二階で暗殺された。奇しくも龍馬33歳の誕生日だった。 最近の大河ドラマは今年の「龍馬伝」と2008年の「篤姫」が幕末、2009年の「天地人」と2007年の「風林火山」は戦国~江戸時代というように、時代設定が交互している。来年は再び江戸初期に戻り、近江国を舞台とする「江~姫たちの戦国~」だそうだ。 両方の時代に共通するのは、それまで長く続いてきた政治体制や社会システムに綻びが生じて徐々に機能しなくなり、混迷状態に入りゆく時期であることだ。そうした時代には、斬新な感覚を持った有能な人物が、すでに行き詰まった「中央」ではなく「地方」から現れ、新しい時代を切り拓こうと懸命に努める――そんな姿が、観る者に感動と共感を与える「人間ドラマ」として成立し、描き易いからだろうか。 大河ドラマの時代考証を何度も手掛けたことがある小和田哲男・静岡大学名誉教授は先月、ウチダソリューションズ京都主催の講演会「戦国武将に学ぶ経営術」で、「名将には必ず優秀な家臣がいた」と三河時代の徳川家康を支えた3家臣について話した。その3人とは、人々から「仏高力、鬼作佐、彼是偏なしの三郎兵衛」と呼ばれた三河三奉行 ――1人は争いごとを好まない高力与左衛門清長、他の1人は気性が激しい本多作左衛門重次、さらに、どちらにも偏らない天野三郎兵衛康景の3人のことだ。 「鳴くまでまとうホトトギス」は、言うまでもなく家康の性格を表す有名な言葉だ。信長や秀吉が築いた権力基盤が自分に転がり込んでくるまで我慢強く待ち続けるイメージが強い。しかし、それだけでは、以後300年続く幕藩体制を維持するのは不可能。明智光秀の反逆で倒れた信長や、晩年をイエスマンで固めた秀吉は結局短命だった歴史的事実がそれを証明している。永続するシステムを構築するには、主君をただ支えるだけでなく、時には命を捨てても諫言するだけの強い覚悟を持った家臣を身近に登用し配置することが大事――家康はそれを実践した。 混迷する現代の社会・政治・経済情勢。いずれの分野でも、トップの人材登用のあり方―技量が問われている。 |
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