少し懐かしい響きのある言葉を、最近よく聞くようになった。その言葉は「見立て」。 「検事、押収資料改ざんか 捜査見立て通りに」(朝日新聞9月21日付)のスクープをきっかけに、以後「見立て違い、村木氏逮捕前に認識」(同30日付)、「揺らぐ特捜検察 無理な見立て、聴取強引」(河北新報10月3日付)、「FD、ページ順も改ざん 前田元検事、見立てに合わせ」(朝日新聞同16日付)等々。テレビの報道番組でも多くのキャスター、コメンテーターが「見立て」「見立て」と口にしている。 辞書を引くと「見立て」にはいくつかの意味がある。ただ、今回注目されるようになった1、「診断、分析、判断など」を意味する用法は比較的近年になってからのこと。元来は2、(スーツに合ったネクタイを見立てるなど)「見て選ぶこと」や、3、ある物を類似の他の物に「擬(なぞら)える」の意味、などでよく使われてきた。 「秋ならで 置く白露は 寝覚めする わが手枕の しづくなりけり」( 古今和歌集)―― 独り寝の寂しさから流す「涙」を「白露」に擬えたこの歌は、和歌では「見立て付け」と呼ばれる他にも例が多い表現法だ。あるいは、落語家が扇子をキセルや箸に見立てたり、茶道では魚篭や徳利などの生活雑品を花器に転用したり、庭造りでは砂利を海や川、岩石を山や島に擬えるなど、「見立て」は日本独得の文化的表現でもあった。 そんな昔に比べると用法がドライに変わってきた「見立て」だが、いずれにせよ、人間のすることだから間違うこともあって、それを「見立て違い」という。 偉大な思想家・孔子でさえ、見立て違いを避けられなかった。バツイチでもある孔子は、逃げられた前妻・幵官氏(けんかんし)にはかなり手を焼いていたようで、「女子と小人は養い難し」の名言は、嫁取りで見立て違いをした彼の苦い体験から生まれた。また出所を思い出せないが、「言葉だけで(弟子の)宰我を見立てて失敗し、(やはり弟子の)容姿だけで澹台滅明(たんだいめつめい)を見立てて失敗した」とする彼の述懐も何かの書物に残っている。 そのように「見立て違い」をすることを「見損なう」とも表現するが、その「見損なう」には「見誤る・見間違う・見る機会を逃す」のほか「評価を誤る」の意味もある。 そこで――。私たちは、真実を見損なわない正しい眼力を身につけなければならない。と同時に、国や組織のリーダーなど権威・権力を持つ立場の者は、人々から「見損なった」と落胆され、軽蔑されないような人格を、ぜひ備えてほしいと願うばかりだ。 |
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