コラム


  左 前   No.487
 今年の夏も、町内の盆踊会場などで浴衣姿の女性を少なからず見た。ただ、向こうから来る彼女たちに何気なく送った視線を戻した瞬間、「?」という違和感から思わず二度見してしまうことが幾度かあった。浴衣を、「左前」に着ている女性が何人かいたからだ。

 服を着る時、手を左右の袖に通した後、まず右の衽や前身頃を、左の衽・前身頃より前(つまり先)に体に付け、その後で左の衽、前身頃を重ねるように着るのが「右前」、その逆を「左前」という。洋服では男性が「右前」、女性は「左前」と区別され、そう着るように仕立てられているが、きものの場合は、男女とも「右前」に着るのがルール。「左前」はいわゆる「死装束」の着方として避けられている。

 そんな日本人としての常識を、子孫に教えられる大人がいなくなってきたことを残念に思っていたら、たしか去年の某テレビ番組で、「私はきものが大好き。週半分は着ている」とおっしゃる京都市長が、なんと「左前」に着て出演していたのを思い出した。「番組スタッフに着せてもらったので気づかなかった」という後日の弁解は、事実そうだったとしても、地場産業のきものをPRすべき京都市長としてかなり痛い話だ。

 ただし、日本でも飛鳥時代までは「左前」が主流だった。それが719年の命令で、すべての人々が「右前」に着るように定められたとの記述が「続日本書紀」に残る。当時さまざまな手本にしていた中国に倣ったもので、当時の中国では東北部や辺境地に住む遊牧民族が農耕民から略奪行為を繰り返して問題になっていた。そこで、弓矢を射やすいように服を「左前」に着ていた遊牧民と区別するため、服装の「右前」統一が発せられたらしい。また日本では、武士が左腰の刀を抜く際、「左前」だと衿に引っ掛かる恐れがあったことも、日本で「右前」が定着する理由になったとの説もある。

 ファッションにおける斬新な冒険や思い切った革新を否定はしない。だからヒザ上丈のミニゆかた姿も、見えてもよいことを前提にした「見せパンツ」姿にも、片目だけだが、目をつぶろう。しかし、日本茶道の開祖・千利休は言った。「規矩作法 守(・)り尽くして 破(・)るとも 離(・)るるとても 本ぞ忘るな」(基本を学び、それを発展させて独自の姿を生み出したとしても、やはり基本を忘れてはならない)――ルビに「・」を付した3文字を取った「守破離」の精神を、ありとあらゆる場面や分野で大事にしたい。そう、企業経営でも、急くあまり基本を疎かにし、会社を「左前」にしてしまわないために。

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