借りた金は返す。返せないときは、差し出した担保や質物は戻って来ない。利子は法律に定められた範囲内でどこまでも増える――現代では当たり前の話だ。しかし、700~800年前の「中世の日本には、まったく異なる考え方があった」と国立歴史民俗博物館の井原今朝男教授が著書「中世の借金事情」で書いている。 「たとい年月を経るといえども、その負物(借財)を償い、かの身代を請け出す時は、これを返与すべし」とする法律が鎌倉時代にはあった。このため「中世の賃借契約では、何年経っても定額の借金本利を返済すれば、質流れになった質田や質物は債務者の手に戻された」し、「(当時は)無利子の借銭が多かった一方、利子は一割から十割まであり無制限だった」「利子率を無制限にした代わりに、利子は元本の二倍以上には増えないと定める総額規制の利息制限の考えが機能していた」と井原教授。 そのように、現代に比べると債務者側にかなり有利で緩やかなルールだったにもかかわらず、当時の経済はなぜ、うまく回っていたのか。それは「中世では、債権者より債務者の立場が重視される半面、債務者にも、借金を期限までに返さないことを恥とする観念が強く浸透していたから」というのが同教授の分析だ。 現代人は借金を恥と思う倫理観を喪失してしまった、とまでは決めつけられないが、いま170万~200万人が5社以上の消費者金融から借金しているという多重債務者の、蟻地獄のような実態をいつまでも看過していてよかろうはずはない。 そこで「改正貸金業法」がこのほど施行された。貸金業者の参入資格として純資産が5000万円以上に引き上げられたほか、広告の頻度や執拗な取り立て行為の規制、さらに借り主の自殺による保険金が返済に充てられるような契約の禁止も盛り込まれた。また過剰貸し付けを防ぐため、借り手の返済能力を事前調査するよう義務付けられ、総借入残高が年収の3分の1を超す貸し付けを禁止する総量規制も導入された。 「貧困ビジネス」――数多く生まれる 新語の中でも、耳にするだけで忌々しく不愉快な気分になる言葉だ。だから、「借金の借り手が次々に破産して不良債権だけが社会に累積していく時代、債務と貧困のセットを断つには、私有財産制と自由契約を絶対視して債権者の権利を優先するような、現代の社会理念を見直す必要がある」と、ある公認会計士が個人ブログに書いていた意見に同感だ。 |
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