コラム


  メッセージ   No.471
 「そもそも花といふに 万木千草において四季折節に咲くものなれば その時を得て珍しき故にもてあそぶなり」(世阿弥「風姿花傳」)

 室町時代の猿楽師・世阿弥が「花」を芸の奥義にまで昇華させたように、日本人は四季折々の花々にさまざまな思いを寄せ、愛でてきた。とくに今頃、晩春から初夏にかけた季節には、バラ、サツキ、カキツバタ、ヤマボウシ、センダン等々、多くの花が次々に咲いて楽しませてくれる。そんな中、日本人として、咲くとつい目を奪われてしまう一つが、大輪のシャクヤクの花ではなかろうか。

 「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」―― 美人の褒め言葉として伝わるこの言葉の由来は定かでないが、江戸時代中期に和歌や俳句、流行語などから言葉を集めて編纂された「譬喩尽(たとえずくし)」にも載る。シャクヤクが「立てば…」と表現されたのは、「花王」と呼ばれたボタンが木であるのに対し、「花相」(花の宰相)と称されたシャクヤクは草で、だから枝分かれせず、花茎を真っ直ぐに伸ばして花を咲かせるからだ。

 シャクヤクには、剣豪・宮本武蔵にまつわる逸話が残る。全国を剣術修行して歩いていた武蔵が奈良県柳生村を訪れ、新陰流の剣聖・柳生石舟斎に指南を求めた時のこと。たまたま吉岡道場の吉岡伝七郎も同じく、石舟斎に手合わせを申し入れていた。

 しかし、競うことを好まない石舟斎は、伝七郎の使者に、シャクヤクの一枝に「断わり文」を結んで持たせ、帰す。怒った伝七郎は「申し入れを逃げた石舟斎は名ほどの達人ではないわ」と言い捨て、京都の道場へ帰って行った。

 ところが、たまたまそのとき伝七郎と同じ宿に止まっていて、そのシャクヤクの枝を見た武蔵は、おそらく石舟斎が一刀で断ち斬ったであろうその斬り口の鋭さに気付き、石舟斎が、今の自分にはとうてい敵わないほど上位の腕前であることを悟る。

 「シャクヤクの枝をこれほど鋭く斬ることができる私に、あなたは勝てる自信がありますか?」という石舟斎の無言の「メッセージ」を、読み取れなかった伝七郎と、読み取った武蔵。その違いが、後に三十三間堂における両者の決闘の結果に表れる。

 日本人はかつて、口に出さなくても暗黙のメッセージでお互いの気持ちを伝え、あるいは読み取った。そうした奥行きの深いコミュニケーション能力が失われてしまったことを、今回の社民党の「連立離脱」問題を通じても思う。伝七郎の愚かさを笑えない。

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