コラム

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  「認知的不協和」   No.467
 ようやく訪れた沖縄で、鳩山首相は米軍普天間基地の全面的「県外移設」を断念する方針を地元に伝えた。何度もほのめかしていた「腹案」が一体どういうプランだったのかさえ明らかにしないまま。「最低でも県外」としてきた従来の発言は「党の考え方ではなく、代表としての発言」であって、だから「選挙公約の違反には当たらない」とする鳩山さんの弁解も、国民としては聞き苦しいし、見苦しいと思う。

 一連の報道を新聞・テレビで見聞きしながら、米国の心理学者レオン・フェスティンガーが提唱した「認知的不協和」という言葉を思い浮かべていた。

 例1。タバコが健康に有害であることは、言われなくても分かっている。自分だって、止められるものなら止めたいとも思っている。しかし、なかなか止められないから、こう思うことにした。喫煙者だって90歳まで長生きした人はたくさんいるじゃないか。ガンになる、ならないは、人によるはず――と。

 例2。外出先で知人を見かけた。少し離れていたので声を掛けるのは止めたが、間違いなく目が合い、互いを認識したつもりだったから、微笑みながら会釈を送った。それなのに相手は表情ひとつ変えず行ってしまったのは、きっと、無視されたのではなく、ただ自分に気付かなかっただけに違いあるまい――と。

 例3。自分が信心する宗教の教祖が「人類の終末」を予言した。しかし「その日」は結局、地球には何も起こらなかった。「やはりデタラメだった」と周囲は批判するが、彼らは何も分かっていないのだ。この日、人類が滅亡の危機から逃れられたのは、私たちを必死に救ってくださった教祖様の偉大な力のおかげであることを。

 例4。長年欲しいと思っていた商品をやっと買った直後、雑誌の商品性能テストで、ライバル商品より低く評価されているのを知った。でも、こう考えて納得することにした。色・デザインがいいし、値打ちに手に入れられたのだから、充分満足だ――と。

 自分の「思い」と「行動」の間に矛盾(=不協和)が生じ、心に不快感を覚えた時、人間はその不協和を解消するため、片方の認知を都合よく変えることで自分を無理矢理納得させようとする――先の4例はいずれも「認知的不協和」と呼ばれる心理だ。

 何かが変わることを期待して「民主党政権」を選んだ。しかし最近しばしば感じる心の中の「認知的不協和」を、どう処理すればよいのか悩んでいる国民が多いのではないか。

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