コラム


  泣かなくなった日本人   No.456
 胸に染み入る、いい歌だった。バンクーバー五輪開会式で、カナダの女性歌手k.d.ラングが歌い上げる「ハレルヤ」(レナード・コーエン作詞曲)に、思わず涙ぐんだ。

 涙もろいのは、性格というよりむしろ年のせいかも知れないが、しかし「最近、泣く人が少なくなった」と、葬祭業関係らしきある人が個人ブログに書いていた。「涙ぐむ人はいても、嗚咽までする近親者の姿を近ごろほとんど見なくなった」と。

 日本人が泣かなくなったのは、でもそんな最近ではない。「人間は近代に入ると泣かなくなった。中世ではよく泣いた。人間の感情は現代より遥かに豊かで、激すれば死をも怖れぬかわり、他人の秘話を聞いたり国家の窮迫を憂えたりするときは感情を抑止することができない」と司馬遼太郎が「世に棲む日々」で書いたのは昭和44年。

 それほど感情豊かで、むしろ泣き虫でさえあった日本人が、ではなぜ泣かなくなったのか?――映画評論家・川本三郎氏が1999年「キネマ旬報」にこう寄せている。「日本の社会が隣国の戦争を契機に特需で太り、高度成長を開始するにつれて、われわれの多くは泣かなくなった。涙を恥と思うようになった。ドライに強く、ふてぶてしくしていないと資本主義社会の冷酷な戦争には勝てないのだと自分に言い聞かせ、涙を捨てていった。泣いている人間はいつか時代の隅に追いやられて行ったのだ」

 同じことを指摘しながらこう語っているのは作家・五木寛之氏だ。「泣くとか、悲しむとか、涙を流すといったことは浪花節的、歌謡曲的、演歌的、義理人情の世界として排除され、笑いとユーモアと明るさがプラス思考として正面に押し出されてきた。しかし、そのような湿式社会から乾式社会への一方的な転換の中で、いま改めて、失われてきたものの大きさを感ぜずにはおれない」(2004年「NHK人間講座」)

 脳内活性物質セトロニンの研究で第一人者の有田秀穂・東邦大学教授によると、泣くことは、笑うこと以上にセトロニンを活性化させ、ストレス解消に大きな効果があるそうだ。感動して泣くと、ストレスで溜まった悪性ホルモンが涙と一緒に体外へ流れ出ていくことも、最近の研究で分かってきている。

 「戦後、一方へ傾きすぎた時代を、どうすれば均衡のとれた人間的な社会に戻すことができるのか。その答えは、私たち一人ひとりの心の中にあります」と五木氏。だから企業戦士の同輩・諸兄、恥ずかしがらず、涙を流しながら、堂々と泣きましょうよ。 

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