コラム


 紅葉の季節  No.443
 ♪秋の夕日に照る山紅葉 濃いも薄いも数ある中に……。小学唱歌「もみじ」で歌われる通り、紅葉は夕暮れ時に見るのが一番美しいのだそうだ。日が傾くと、通過する大気層の厚さの関係で太陽光の赤っぽい光だけが地上に届き、紅葉が一層映えるから。

 「今年の紅葉の見頃は例年並み、色づきは全国的に鮮やかになりそう」と気象情報会社「ウェザーニューズ」が先月発表していた。昭和40年から去年までは気象庁が年々の「紅葉情報」を発表していたが、「本来業務になじまない」との理由で打ち切られ、代わって今年からは民間会社や財団法人日本観光協会が各々発表するようになった。

 ただし気象庁の旧来の「紅葉情報」も、尾瀬や鎌倉など関東地区17カ所の紅葉の名所についてだけ、独自に考案した「紅葉予測の計算式」に基づいて算出、発表していたもの。ちなみに同計算式「4.62×9月の平均気温−47.69」に、今年9月の平均気温が24.1℃だった名古屋を当てはめると、答えは「63.6」。つまり10月1日から63.6日後の12月2日頃が紅葉の見頃と予測される。誤差は6日前後だそうだ。

 「紅葉」と今日では書く。しかし奈良時代は「大君の御笠の山の黄葉(もみじば)は今日のしぐれに散りか過ぎなむ」(大伴家持)とあるように、万葉集に80首以上も詠まれている「もみじ」の表記は、たった一首を除いて「紅葉」ではなく「黄葉」だった。中国の陰陽五行説で方角を色で表す際、青は東、黒は北、白は西、赤は南と色分けされた中で、黄は皇帝が居る中央の「最も高貴な色」として扱われたためではないかとされる。

 それが平安時代になると「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」(猿丸太夫、古今和歌集)など、「黄葉」より「紅葉」と書くほうが圧倒的に多くなったのは、日本が中国文化の影響から離れ、独自の文化が芽生えてきたことの表れとする説が、今日では学問上の主流になっているようだ。

 紅葉を愛でる繊細な美的感覚は、日本人ならではの情緒――と思っていたら、「米国でも紅葉見物は昔から盛ん。あちこちに紅葉名所があり、紅葉街道もあれば紅葉渋滞もある」と先日の朝日新聞にあった。ただし。「米国では、紅葉観光客は“リーフ・ピーパー”、直訳すれば“葉っぱののぞき見屋”と呼ばれる。手塩にかけて育てた木や林をのぞき見に来るな、という地元特有の意識だろうか」などという記事の続きを読むと、うーむ、こうした米国式利己主義とパートナーシップを組むことの難しさを感じる。

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