コラム


 反 則  No.440
 「自分でも何が起こったのか分からなかった」と、本人がその日のブログに書き込んでいた。先週14日開かれた将棋の第20期女流王位戦5番勝負第2局、清水市代女流名人・女流王将の挑戦を受けた石橋幸緒女流王位が129手目、6六角から2二角成と指した一手が自駒の4四歩を飛び越え「反則負け」になったニュースを、新聞・テレビは割合大きく扱った。でも実は、将棋界での「反則負け」は、それほど珍しくない。

 淡路仁茂九段は、斜め後方に並んでいた自分の角の、後ろの角をつまんで敵陣に成り込むなど、過去になんと8回もの反則負けを記録し「反則負け王」の異名を持つ。

 数組が盤を並べて一緒に指す大会がある。隣の棋士と話していた米長邦雄永世棋聖は、「ピシリ」という駒音に気付いて対局者に向き直り、自陣の駒を動かしたところ、二手指しで反則負けになった。斜め向かいの対局者が打った駒音を聞き間違えたのだ。

 角を、筋を外れたマスに成り込んで負けた人は木村義徳九段のほか数人いるし、北村昌男九段は、楽勝気分で詰めに行って打った桂馬が裏向きだったため、負けとされた。

 「二歩」などという初歩的ミスはシロウトだからと思いきや、大山康晴十五世名人や中原誠永世十段、青野照市九段らも「二歩」負けの経験者だし、振り駒で決まった先手が長考しているのを、自分が先手だったと勘違いした後手が先に指し、たった一手で「反則負け」になる試合も3、4年に一度ほどある――等々は元読売新聞の観戦記者・山田史生が著書「将棋名勝負の全秘話全実話」に収めたエピソードの数々だ。

 「反則負け」は将棋界ばかりではない。囲碁界でも林海峯名誉天元は、相手が打ったと勘違いした二手打ちが記録されているし、趙治勲二十五世本因坊は、着手禁止の場所に打ったり、「時間切れ」による反則負けもある。

 大相撲の2003年名古屋場所、横綱朝青龍が平幕旭鷲山のマゲを掴んだ勝負は、朝青龍の反則負けになっただけでなく、「横綱らしからぬ」と批判を浴びたし、2000年五月場所では、三段目朝ノ霧のまわしの前袋が緩んで局所が見え、反則負けになった。

 ――などという、笑って済ませられる「反則」ならよかろう。しかし――。

 2005年4月、死者107人を出した「JR福知山線脱線事故」で、事故調査委員会がまとめた最終調査報告書案がJR側に事前に漏らされていたうえ、記述が一部書き直されていたとは実に悪質極まりない話だ。両者の「大反則」は、厳しく糾弾されねばなるまい。

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