コラム


 言葉の言い換え  No.398
 近年の冬、オジサン世代にとっては少し助かっていることがある。ズボンの下に、防寒のための股引を堂々と履けるようになったからだ。と言ってももちろん、昔ながらの股引ではなく、「スパッツ」とやらの「今風股引」だ。あれなら、「実は履いているよ」と自白しても、なぜか女性陣から「オジン臭い」と眉をしかめられずに済む。

 ただ、違いがどうにも分からない。「股引」も「スパッツ」も機能はまったく同じなのに。しかも最近は「スパッツ」のほかに「カルソン」とか「レギンス」とかの呼び方も耳にする。そこでグンゼに聞いて見た。すると、「ウーン、違いはないんですよねえ。素材、機能性、装飾も基本的に同じ。呼び方が年々変わっているだけです」

 旧世代には理解しづらい言葉の変化。その最たるものは、最近よく見聞きする若者言葉の「萌え」だろう。「春くれば 雪の下草 下にのみ 萌え出づる恋を 知る人ぞなき」(前中納言匡房(さきのちゅうなごんまさふさ)、「新勅撰和歌集」)などと詠われた、春の芽吹きを指す意味合いとは、いまの「萌え」は違う。「アニメやゲームの少女キャラなど架空のキャラクターに抱く擬似恋愛的な好意。何かが好きな様子。熱中するさま」とネットの「語源由来辞典」。まだその心情を測りかねていたら、「かつての<わび・さび>のような、日本に生まれた独得の新感性かも」という誰かの大胆な説明に、完全にではないが理解した。

 ともかくも、時代とともに言葉の意味が変わったり、言い方が変わること自体は珍しくない。ただ――である。

 日本は戦時中、敵軍の攻勢に追われて敗走・撤退することを「転進」と表現し、戦後も「占領軍」を「進駐軍」と言い換えた。8月15日はいまでも正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」、もしくは一般に「終戦の日」であって「敗戦の日」とは呼ばない。事実上の軍隊である自衛隊に武器を装備させ、戦地イラクへ送っても、あくまで「派遣」であって「派兵」とは言わない。

 政府が買い取ったもののカビが生えたり基準値を超える残留農薬が検出されて食べられない米は「汚染米」ではなく「事故米」、役所が不正に使った税金は「横領・着服」ではなく「私的流用」――等々、「責任逃れ」見え見えの言葉の言い換えが、現在も罷り通っている日本の現状。いま大企業を中心に広がる、「雇用調整」と言い換えられた問答無用の「首切り」にも、事ここに至るまでの「経営責任逃れ」が見え隠れしないか。

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