「美しい」とは、物の形・姿・色・音などがうっとりするほど快く感じされる様を言う。漢字学者の白川静氏によると、「美」という漢字は、「羊」の体を上から見た形を表す象形文字だ。かつて、羊は生け贄として神に捧げられたが、その際犠牲となったのは大きくて見事な羊だったことから、「美」という漢字が生まれたという。 先日、京都・宇治の平等院を訪ねた。10円玉に描かれている、馴染みの深い建造物でありながら、実際に目にするのは初めてだった。あちらこちらに咲く蓮の花を眺めながら、広い敷地をゆっくり散策し、ついに目当ての鳳凰堂と対峙したときに浮かんだ言葉は、「きれい」でも「立派」でも「すごい」でもなく、「美しい」だった。 それから数日。その余韻がまだ頭から消えない中で、偶然、「美しい」をキーワードにしたコラムを日経新聞で見た。TDK会長の澤部肇氏のエピソードだ。澤部氏は決断を迷ったとき、「これは美しいことかどうか」で判断してきたという。それを教わったのは同社の元社長・素野福次郎氏から。素野氏は生前、「正しいか正しくないかは時代によって変わる場合があるが、美しいか美しくないかは変わらない。本当によい製品は美しいだろう。自分の行動も美しいかどうかで判断すればいいんだ」と語っていた。 澤部氏は実際、社長になる前に、あるメーカーの第三者割当増資を引き受けるかどうかという議題が取締役会で出たとき、「それはおかしい」と異議を唱えた。非効率な株式の持ち合いに以前から疑問を感じていたため、付き合いで引き受けるのは「美しくない」と思ったからだ。結局、澤部氏の意見が支持され、この議題は否決された。 同コラムは「世の中を渡って行くには、きれいごとだけでは済まない。いろいろな誘惑もあり、私利私欲を抑えるのも大変だ。経営者に聖人君子であれというのは酷だろう」と書いていた。そうであればなおさら、経営者は、自身の中に揺るぎない「物差し」を持つ気概が求められよう。 「美」の元となった「羊」には、こんな諺がある。「亡羊(ぼうよう)補(ほ)牢(ろう)」。牢は囲いのことで、「羊に逃げられてから囲いを修理しても手遅れだ」という戒めだが、半面、「たとえ失敗しても、それを教訓にすれば、やり直しができる」との意味もある。目盛りの消えかかった「物差し」は役に立たない。しかし、それに気づき、「新品」と取り替えるのに遅すぎるということはない――。そんなプラス思考も、経営者には必要ではないか。 |
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