コラム


 「閉鎖社会」のこわさ  No.337
 いかに相撲界での出来事とはいえ、協会の「腰の重さ」には呆れるばかりだ。

 大相撲時津風部屋で序の口力士だった斎藤俊(たかし)君(四股(しこ)名・時太山)が今年6月、親方や兄弟子たちの暴行を受けて死亡したとされる事件で、北の湖理事長は2日、やっと時津風親方を協会に呼び出し、事情聴取をした。愛知県警が先月26日、傷害・傷害致死容疑で立件の方針を固めたにもかかわらず、当事者を呼んで事実確認に本腰を入れようとしなかった相撲協会。28日に文科省から呼び出しを受けた際も、理事長は当初「出張の予定がある」とかで出頭を渋ったそうではないか。その感覚を疑う。

 「暴行」の内容も、時津風親方の説明とマスコミが報じる話とでは、「程度」の軽重がかなり違う印象だ。マスコミ報道の全部をそのまま信じてよいかどうかは迷うが、よほど激しい暴行が加えられなければ、17歳とはいえ相撲界に入ってきた立派な体躯の若者が急死することはあるまいと、素人考えかも知れないが、憶測する。

 今回の事件で何より驚き、憤慨に堪えないのは、亡くなった若者を、時津風親方は遺族に勝手に火葬しようとしたという話だ。事が事だけに、非常識も甚だしい。そうしなければならない事情があったとすれば、それは若者の身体に生々しく残された暴行の痕跡を隠すための、「証拠隠滅」の意図以外に何があろうか。

 時津風親方の、普段の人柄を悪く言う人はいないという。ただし「酒を飲むと人が変わる」そうだが。恵まれた身体能力から将来を期待され中学1年で角界入りした北の湖理事長も、多くの部屋のスカウトが押しかけた中から二所ノ関部屋を選んで入門した理由を、「女将(おかみ)さんが手編みの手袋と靴下を送ってくれたから」と話す心優しい少年だった。昭和49年、当時は史上最年少の21歳で横綱に昇進、60年に実父と師匠が相次いで亡くなって葬儀の日が重なってしまった時も、「自分にとっては親以上の恩人」と、師匠の葬儀への出席を優先させた義理堅い人でもある。それなのに、なぜ――。

 「閉鎖社会」の密室性が、そこに少し長く居ると、人の心を変えてしまうのだろうかと、最近思う。相撲界に限るまい。軍事政権下のミャンマーや、金正日独裁下の北朝鮮もそうだろうし、国民の年金を食い物にした社保庁や、あえて言えば福田首相誕生の経緯にも、「閉鎖社会」が醸し出す「密室的匂い」が、しないでもない。

 ひるがえって、諸兄の会社にはもちろん、「密室」なんて、ありませんよね?

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