コラム


 人生って・・・  No.323
 そのインタビュー記事は、ある財団法人の機関紙の、3年前の1月号に載っていた。

 「業界では“最後の職人”と言われています。素材を見れば、こうすればこういう使い方があるというアイデアが、自然に湧くんです」「評価いただいているのは当社独自の製法技術。どのような原料でどのような作り方をすれば一番安くできるかを提案できる点です」 5ページに及ぶ記事の随所に、得意満面の笑顔の写真があった。いま「偽牛肉ミンチ事件」で渦中の「ミートホープ」社長・田中稔氏だ。

 1938年(昭和13年)、北海道でもとくに雪深い道北の農家の、6人兄弟の次男として生まれた。小学4年の時、実母が亡くなり、その後、父親が2人の連れ子がいる女性と結婚した。しかし継母は連れ子しか高校へ進学させなかったため、彼は中学卒業後、地元の肉屋に住み込みの丁稚として就職。朝4時には農家へ買い付けに出掛け、夜9時半まで店で働き、帰宅後、家畜の豚に餌を与える日々が7年間続いた。

 その後、叔父の知人の紹介で苫小牧の大店(おおだな)の肉屋に移って経験を積んだ後、独立して「ミートホープ」を設立したのが'76年。小さな工場で製造、出荷、営業を1人でこなすかたわら、文科省から「創意工夫功労者賞」を受賞するような挽肉攪拌機を考案・開発した。同時に、同業者がそれまで目を向けていなかった販路を開拓するなど身を粉にして働いた結果、会社を、年商16億円とはいえ地元トップ企業に育て上げた。それだけだったなら、中小企業といえども立派な立志伝中の成功者だ。しかし――。

 先週末の4回目の記者会見。「やったならやったと、認めてください。あいまいな表現はやめて、本当のことを言ってください。お願いします」と、事ここに及んでなお言を左右にし、なんとか逃げ切ろうとする社長、否、実の父親に、満座の中でそう口を開かなければならなかった長男の、心中の辛さは察するに余りあろう。そして記者団から「偽装はやめようと、社長になぜ言わなかったのか」と質問されて唇を噛み、言葉をなかなか発することができなかった元工場長の、張り裂けんばかりの胸の内もまた。

 会社は今日、従業員に解雇と会社清算の方針を伝えたそうだ。誤解を恐れずに言えばワンマン経営の中小企業が陥りがちな悲劇の教訓を、目の当たりに見たのではないか。

 「人生って分からないものです」とも、田中社長はインタビューの中で話していた。いや、いずれこうなる不安は、感じていたのではないのか、目を逸らしていただけで。

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