コラム


「オアシス」 No.250
 新聞の社会面には「オアシス」がある。4コマ漫画だ。殺伐とした事件・事故の記事が埋めて暗くなりがちな紙面を、漫画独特の味わい深いユーモアや風刺が和らげている。歴史的な出来事からささやかな話題までを、新聞記者とは違った感性や視点や人情で捉え、簡潔明瞭な起承転結のリズムで描く。これもまた、その時々の「歴史の一証言」と言えるだろう。

 新聞漫画の第1号は1926年から29年まで朝日新聞に掲載された東風人・織田小星の両人による「正チャンの冒険」。その後、横山隆一の「フクちゃん」(36〜71年、朝日新聞)から、40年代にアメリカで流行した現在のスタイルを倣う形で定着し、戦後には長谷川町子の「サザエさん」(46〜74年、同)が始まり、大人気になった。

 そして54年から毎日新聞で連載が始まったのが、先日亡くなった加藤芳郎さんの「まっぴら君」だった。以来47年間、1万3615回にわたって連載され、新聞掲載漫画の最長記録を打ち立てた。当初は題名通りの主人公「まっぴら君」の目で世の中の動きを追っていたが、いつの間にか易者や坊さん、泥棒などユニークなキャラクターが狂言回しに登場するという、新聞漫画では珍しく「進化」を遂げたところが、物事にこだわらない「加藤さんらしさ」だったかも知れない。

 日々の題材は当然、新聞数紙を隅から隅まで読み通すことから始まる。「乾いた雑巾を、ぎゅうぎゅう絞って、やっと最後の一滴が出てくる感じ」と語っているその苦労はよく分かる。それでもアイディアが浮かばない時、焚き火で気分を解したという加藤さん。「そのうち、与えられた時間いっぱいでどこまで出来るかが、楽しくなってきた」とも。苦しさを楽しさに置き換えられる――それが「プロ」なのだろう。

 加藤さんのユーモア心はトークにも溢れ、タレントとしても名を残した。NHKのクイズ番組「連想ゲーム」に男性キャプテンとして20年以上出演し、軽妙な語り口で茶の間の人気を集めた。ニッポン放送「テレフォン人生相談」でもパーソナリティを務め、温かな言葉で相談者を励ました。「喜びは人に伝えることで倍になり、悩みは人に話すことで半分になる」の名文句はいまも耳に残る。

 チャップリンに似た穏やかな笑顔も魅力だった加藤さん。彼自身が、多くの人々にとって、心の「オアシス」的存在だったと思う。

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