誤解を恐れずに言えば、たった1人の人間の死を悲しみ、悼むために、なぜ世界各国から400万人もの人々が集まるのか、その「意味」の深さを、一生懸命分かろうとしても分かり切れない自分に、少し苛立ったりもした。 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死去し、4月8日、バチカン市国で葬儀が執り行われた。1920年ポーランド生まれの、84歳だった。 '78年、当時のローマ法王パウロ6世が死去、その後任に選ばれたヨハネ・パウロ1世が在位わずか34日で心臓発作で死去したため、当時58歳のポーランド出身のヴォイテイワ大司教が、選ばれて第264代法王ヨハネ・パウロ2世になった。イタリア人以外の法王誕生は455年ぶりで、132年来の最年少の法王だったという、当時の驚きのニュースは記憶の片隅にある。 彼は、人口増加、エイズ蔓延といった問題を抱えるアフリカにおいてさえ避妊や中絶を認めず、安楽死を禁止し、同性愛を「邪悪」と非難し、女性司祭の叙階さえ許さない保守的カトリックの伝統を守り続ける頑固さを最後まで崩さなかった。半面、これまでの法王が、就任後ほとんどローマを離れたことがなかった中、26年間で128カ国もの多くの国々を訪れ、人々と触れ合い、語らった。 '81年には訪日して広島・長崎を訪れ、'86年にはローマ法王として初めてユダヤ教会を、'00年にはエルサレムのホロコースト記念館に出向いて、ナチスによる大量虐殺の犠牲者に、座視して何もしなかった過去の過ちを謝罪するなど、聖職者として許される範囲内で世界の平和に心を配った。その業績は万人が高く評価するところだろう。 そうした彼の偉大さは、分かっているつもりだ。けれどもそのこととは別に、彼の死を悼むために、自身は最悪の大量破壊兵器「核」を持ち、世界に戦争の火ダネを探し出しては軍隊を送り込み、敵軍の兵士のみならずその何百倍もの一般市民を殺している国家の指導者が、平然として彼の遺体の前で跪(ひざまず)いている光景を目の当たりにすると、そんなことができる倫理観と、それを許しているキリスト教の物の考え方とは一体何なのか――が、正月は神社に詣で、人が亡くなれば経を唱和し、盆には墓を参り、結婚式は教会で挙げ、メリー・クリスマスをはしゃぐことに何の違和感も持たない日本人には、理解できなくて当然なのだろうか。人間が分かりあうことの難しさを、痛感する。 |
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