コラム


 若い感性 No.117
 理に適っていないようなものが、増えつつある。

 たとえば、「立ち上げる」という言葉。ビジネスパーソンも日常、「パソコンを立ち上げる」などと、よく使う。ところが、この言葉は国語辞典には載っていない。文法上、間違っているからだ。日本語では、「立つ」という自動詞と「上げる」という他動詞とは異質なもので、結びつくことはない。国語学者もある雑誌で、「『立ち上がる』『立ち退く』などの自動詞と自動詞の結びつきはあるが、『立ち上げる』という自動詞と他動詞の組み合わせは存在しない」と指摘していた。

 この言葉は数10年前、コンピューター業界で使われ始めた。当初は、英語のコンピューター用語「boot」の訳として、「オペレーティングシステムが立ち上がる」という使い方をした。「boot」がもともと他動詞なので、いつの間にか「立ち上がる」も他動詞として使われるようになり、「オペレーターがシステムを立ち上げる」というように変化した。そこには、コンピューター文化とともに変化してきた言葉の歴史がある。そして、それを支えてきたのは、若い技術者やマニアックな青少年たちだ。

 コンピューターがこれほど発達し、普及しなければ、「立ち上げる」も問題にはならなかったろう。コンピューターとは縁のないところで生きてきた人にとっては、耳障りな言葉に聞こえ、竜宮城から戻ってきた浦島太郎のような感覚ではないか。

 しかし、言葉というのは、知の発達があるところで生まれるものだ。決して、プロによってのみ創られるものではない。そこを見落とすと、言葉の豊かさ、文化を否定してしまうことになる。だから、携帯電話の絵文字も1つの文化だ。

 もう一つ、若い女性が冬に着る「半そでニット」。多くの人は初めて目にした時、理解に苦しんだに違いない。冬なのにどうして半そでを着るんだ、と。

 この「発信源」は、芸能人かファッション雑誌のライター・編集者だろうか。その感性が、慣習を覆した。いまでは空調設備が整っているから、外で雪が降っていても、室内は快適。「冬=長そで」である必要はない。しかも、そういう発想を持ち続けている人が少なくないから、コートを脱ぐのも楽しくなる。

 若い感性が、新たな息吹を注いでいる。社会もそれを柔軟に受け入れ、新たな文化、市場が形作られている。これがもっと増えていけば、と思わずにいられない。
 

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